就職して初めて購入したマシンはPC/AT互換機、いわゆるDOS/Vマシンだ。
DOS/Vという言葉は死語かもしれないが、これには非常に大きな意味があった。
DOS/V以前の日本市場は日本語の壁に守られ、外国製パソコンの流入を阻んでいた。日本製パソコンは高価なハードウェアで日本語を表示していたのだ。
DOS/Vはソフトウェアにより日本語をグラフィックスとして表示する。CPU性能の向上により特別なハードウェアを使わなくても十分早く日本語を表示できるようになったのだ。
DOS/Vが登場したことで、日本市場にPC/ATが参入してきた。これに対して特殊なハードウェアを用いた日本製パソコンは価格的な全く対抗できなかった。ソフトが次々DOS/Vに対応する中で、その存在意義は次第に薄れていった。
近い将来PC 9801がなくなるだろうことを予想して、早めにDOS/Vを使ってみようと考え、新しいパソコンを買った。飯山電気製の互換機だった。
このパソコンで様々な実験をした。DOS/Vはもちろん、出たばかりのWindows 3.1を使い、最後は386BSDをインストールした。
386BSDはまだ未熟だったので、最後はWindows 3.1に戻った。また、シミュレーションなどに使うときにはDOS/Vで起動し、余計なプロセスにCPUパワーを奪われないようにした。このシミュレーションではメモリは問題ではなかった。
これ以降はWindows時代だ。仕事ではSunを使い、自分ではWindowsを使った。Macintoshを使った時期もあったが、未だになぜMacintoshを使う必要があるのかわからない。なぜなら使いたいソフトがないからだ。少なくともWindows 95以降、Macintoshを使う理由は何もないと思う。16ビットWindowsはハングすることで有名だったが、Windows NT以降は逆にMacintoshの方がハングすることで有名になった。ジョブスを呼び戻してiMacを出すまでAppleの低迷は続いた。
2008年1月5日土曜日
My PC History (4) PC-9801RA
大学院に進学し、いよいよPC 9801を購入した。80386のRAであった。
5インチFDDが搭載され、MS-DOSを使うことができた。
しかし、MS-DOS用のプログラミング言語は高価だったので、SMC 777のように多くのコンパイラをそろえることはできなかった。しかし、既に研究室に所属しており、その研究室では当時まだ珍しかったVAX, SunでUNIXが稼動していた。コンパイラは十分に揃っていた。自宅のパソコンでコンパイラを使う必要はなかった。
卒論でCのプログラムを作成したため、Cコンパイラだけそろえた。
80386を一言で表現すると中途半端なCPUだ。80386の原型である8086のメモリアクセス方式はセグメント方式で64KBの領域をセグメントレジスタで切り替える。セグメントレジスタは16ビットでしかも下位4ビットは0なので全体では1MBしかアクセスできない。そのためPC 9801のメモリは1MBが上限で、通常640KBだった。たかだか8ビットマシンの10倍でしかない。80386はそれを超える32ビットリニアアドレスをサポートしていたが、DOSではその機能を十分に使うことができなかった。CPU自体の責任ではないが、16ビット時代から32ビット時代に移行する過渡期であったためにPC-9801RAの性能は十分に発揮されることはなかった。
ちなみにPC UNIXとしてLinuxが有名だが、それと双璧をなすFreeBSDの原型である386BSDというOSもある。いずれも80386でUNIXを実現したものだ。つまり、OSさえまともならもっとすごいことができるマシンだった。
しかし、当時はそのようなOSSの流れはまだ湧き出たばかりで全く感じられなかった。私はMS-DOSでメモリの壁に悩まされながらプログラムを書いていた。セグメントの壁を超えるためにhuge pointerという概念が導入され、セグメント内のポインタとセグメント間のポインタを明示的に区別する必要があったのだ。
ところで、PC 9801は確かにプログラミングスキルを向上させてくれたかもしれない。しかし、どちらかといえばPC 9801のおかげというより研究室のUNIXのおかげのように思える。典型的なプログラミング作法の見本がそこにはあった。
PC 9801は勉強の道具でも合ったが、遊びの道具でもあった。私のゲーム暦は以外に浅く、市販ゲームをたくさん買ってプレイするようになったのは、アルバイトをはじめた大学院生時代からだ。それ以前は数少ないゲームを長く遊ぶか、自分で作ることを楽しんだ。自分で作っても大したゲームができるわけではないが、ゲームを作る過程がゲーム以上に楽しかった。
このとき、自分で作ったゲーム?はRPGツクールのようなゲームエンジンだ。cursesを真似てマップを2画面用意し、デュアルバッファでリアルタイムに表示する。C言語だけでも十分スムーズにスクロールできた。もっとも、よく見ると多少ぎこちない感はあったし、最終的にはイメージをVRAMに書き込むときだけマシン語を使った。
凝ったのはシナリオシステムだ。シナリオファイルにキャラクターの台詞やイベント記述するとそれで任意のゲームを表現できる。もっとも、ドット絵を作るのが面倒だったので、敵キャラを増やすところで中断してしまった。ボタンなどのGUI部品も自作し、簡単なウインドウシステムになっていた。このような特徴は、実はすべて修士時代の研究テーマから取り入れたものだ。
大学院時代は学部時代より長かったが、すべてPC 9801で作業した。
5インチFDDが搭載され、MS-DOSを使うことができた。
しかし、MS-DOS用のプログラミング言語は高価だったので、SMC 777のように多くのコンパイラをそろえることはできなかった。しかし、既に研究室に所属しており、その研究室では当時まだ珍しかったVAX, SunでUNIXが稼動していた。コンパイラは十分に揃っていた。自宅のパソコンでコンパイラを使う必要はなかった。
卒論でCのプログラムを作成したため、Cコンパイラだけそろえた。
80386を一言で表現すると中途半端なCPUだ。80386の原型である8086のメモリアクセス方式はセグメント方式で64KBの領域をセグメントレジスタで切り替える。セグメントレジスタは16ビットでしかも下位4ビットは0なので全体では1MBしかアクセスできない。そのためPC 9801のメモリは1MBが上限で、通常640KBだった。たかだか8ビットマシンの10倍でしかない。80386はそれを超える32ビットリニアアドレスをサポートしていたが、DOSではその機能を十分に使うことができなかった。CPU自体の責任ではないが、16ビット時代から32ビット時代に移行する過渡期であったためにPC-9801RAの性能は十分に発揮されることはなかった。
ちなみにPC UNIXとしてLinuxが有名だが、それと双璧をなすFreeBSDの原型である386BSDというOSもある。いずれも80386でUNIXを実現したものだ。つまり、OSさえまともならもっとすごいことができるマシンだった。
しかし、当時はそのようなOSSの流れはまだ湧き出たばかりで全く感じられなかった。私はMS-DOSでメモリの壁に悩まされながらプログラムを書いていた。セグメントの壁を超えるためにhuge pointerという概念が導入され、セグメント内のポインタとセグメント間のポインタを明示的に区別する必要があったのだ。
ところで、PC 9801は確かにプログラミングスキルを向上させてくれたかもしれない。しかし、どちらかといえばPC 9801のおかげというより研究室のUNIXのおかげのように思える。典型的なプログラミング作法の見本がそこにはあった。
PC 9801は勉強の道具でも合ったが、遊びの道具でもあった。私のゲーム暦は以外に浅く、市販ゲームをたくさん買ってプレイするようになったのは、アルバイトをはじめた大学院生時代からだ。それ以前は数少ないゲームを長く遊ぶか、自分で作ることを楽しんだ。自分で作っても大したゲームができるわけではないが、ゲームを作る過程がゲーム以上に楽しかった。
このとき、自分で作ったゲーム?はRPGツクールのようなゲームエンジンだ。cursesを真似てマップを2画面用意し、デュアルバッファでリアルタイムに表示する。C言語だけでも十分スムーズにスクロールできた。もっとも、よく見ると多少ぎこちない感はあったし、最終的にはイメージをVRAMに書き込むときだけマシン語を使った。
凝ったのはシナリオシステムだ。シナリオファイルにキャラクターの台詞やイベント記述するとそれで任意のゲームを表現できる。もっとも、ドット絵を作るのが面倒だったので、敵キャラを増やすところで中断してしまった。ボタンなどのGUI部品も自作し、簡単なウインドウシステムになっていた。このような特徴は、実はすべて修士時代の研究テーマから取り入れたものだ。
大学院時代は学部時代より長かったが、すべてPC 9801で作業した。
My PC History (3) Sony SMC 777
VICは推奨できない。しかし、このパチンコのような名前のパソコンSMC 777は推奨できる。
もし、SonyがSMC 777をシミュレータとして復刻するなら、今でも買う(かもしれない)。
数ある日本のパソコンの中でも名機中の名機だと思う。
唯一の欠点がメモリが少ないことだった。しかし、これは8ビットCPUを使っている以上、当然のことだ。しかし、他のメーカーは8ビットでも64KBの壁を無理やり超えていたので、どうしても見劣りがする。
777ではCP/Mを使うことができた。CP/MはOS(正確にはDOS)だ。コマンドプロンプトのようなものだと思えばよい。コマンドプロンプトでは何もできないので、CP/Mの何がありがたいのかわからなにかもしれない。CP/MのようなOSがあるとアプリケーションを自由に切り替えることができる。つまり、当時のパソコンはBASICしか使えなかったが、777はBASICをはじめ、LOGO, FORTRAN, C, Forth, Lisp, Prologなどが使えた。おかげで、大半のプログラミング言語を勉強することができた。
そのためか、かえって何もプログラムを作らなかった。すでに表計算ソフトなども含まれていたので自分で作る必要がなかったという理由もある。もう少しこのマシンでプログラミングを続けていればスキルが向上したかもしれない。
しかし、全くスキルが向上しなかったわけではない。事実、いくつかプログラムは作った。学校の演習の課題のようなプログラムだった。しかし、それらを作っていくうちに64KBの壁にぶつかった。つまり、VIC 1001では16KBを使いこなせなかったのに、いつのまにか64KBで満足できなくなっていたわけだ。
また、777にはフロッピーディスクが標準装備されていた。CP/Mとコンパイラ一式をフロッピーに入れると残りのスペースはわずかしかなかった。データが増えるとフロッピーに収まらなくなってきた。
このようにディスクやメモリの制限を感じて8ビットマシンはもう限界だと感じた。
777は64KBを超える8ビットパソコンより安かったが、VICよりははるかに高かった。これは確か大学の入学祝いに買ってもらったのだと思う。大学時代の友人はPC-9801を使っていた。当時PC-9801は本当に車(ただし中古車)に匹敵する値段だった。プリンターまでそろえると60万近くしたと思う。とても手が出なかった。
ちなみにPC-9801では一太郎などのワープロが登場していた。卒論をパソコンで書いた人もいた。しかし、私の場合、777では卒論を書けるようなワープロがなかった。そのため、いわゆるワードプロセッサで卒論を書いた。
このように大学(学部)時代はSMC 777と共に過ごした。
もし、SonyがSMC 777をシミュレータとして復刻するなら、今でも買う(かもしれない)。
数ある日本のパソコンの中でも名機中の名機だと思う。
唯一の欠点がメモリが少ないことだった。しかし、これは8ビットCPUを使っている以上、当然のことだ。しかし、他のメーカーは8ビットでも64KBの壁を無理やり超えていたので、どうしても見劣りがする。
777ではCP/Mを使うことができた。CP/MはOS(正確にはDOS)だ。コマンドプロンプトのようなものだと思えばよい。コマンドプロンプトでは何もできないので、CP/Mの何がありがたいのかわからなにかもしれない。CP/MのようなOSがあるとアプリケーションを自由に切り替えることができる。つまり、当時のパソコンはBASICしか使えなかったが、777はBASICをはじめ、LOGO, FORTRAN, C, Forth, Lisp, Prologなどが使えた。おかげで、大半のプログラミング言語を勉強することができた。
そのためか、かえって何もプログラムを作らなかった。すでに表計算ソフトなども含まれていたので自分で作る必要がなかったという理由もある。もう少しこのマシンでプログラミングを続けていればスキルが向上したかもしれない。
しかし、全くスキルが向上しなかったわけではない。事実、いくつかプログラムは作った。学校の演習の課題のようなプログラムだった。しかし、それらを作っていくうちに64KBの壁にぶつかった。つまり、VIC 1001では16KBを使いこなせなかったのに、いつのまにか64KBで満足できなくなっていたわけだ。
また、777にはフロッピーディスクが標準装備されていた。CP/Mとコンパイラ一式をフロッピーに入れると残りのスペースはわずかしかなかった。データが増えるとフロッピーに収まらなくなってきた。
このようにディスクやメモリの制限を感じて8ビットマシンはもう限界だと感じた。
777は64KBを超える8ビットパソコンより安かったが、VICよりははるかに高かった。これは確か大学の入学祝いに買ってもらったのだと思う。大学時代の友人はPC-9801を使っていた。当時PC-9801は本当に車(ただし中古車)に匹敵する値段だった。プリンターまでそろえると60万近くしたと思う。とても手が出なかった。
ちなみにPC-9801では一太郎などのワープロが登場していた。卒論をパソコンで書いた人もいた。しかし、私の場合、777では卒論を書けるようなワープロがなかった。そのため、いわゆるワードプロセッサで卒論を書いた。
このように大学(学部)時代はSMC 777と共に過ごした。
My PC History (2) VIC 1001
高校パソコンクラブ時代に自分のパソコンが欲しくなり、当時一番安いパソコンを買った。
それがVIC 1001だ。一番安いパソコンといっても、ワンボードマイコンにはもっと安いものも会った。CRCというマイコンは39800円くらいで販売していた。かなり迷ったあげくVICに決めた。この決断は間違っていなかったと思う。マイコンを買ったら直ぐに使わなくなっただろう。ハードウェアには詳しくなったかもしれないが、ソフトウェアを学ぶことはできなかっただろう。
VIC 1001はBASIC内蔵とはいえ、ユーザメモリは4KBくらいしかなかった。8KBの内蔵メモリ中、モニタとBASICが4KB使っていた。しばらくはそのまま使っていたが、どうしてもがまんできずに16KBのメモリカートリッジをつけた。結局、このメモリは宝の持ち腐れに終わった。当時の私のプログラミング能力では16KBのメモリを使い切ることはできなかった。
VIC 1001では、市販のゲームもしたが、はじめて自分でゲームを作った。どんなゲームかというと格子状の盤面で巡回する障害物を避けながらゴールを目指すゲームだ。これはある程度動いたが、マシン語にはまってしまい、あまり納得の行く出来にはならなかった。
BASICを習ったときIF,FORが何の役に立つかわからなかったが、ゲームを作ってはじめて役に立つことがわかった。
初心者がゲームを作るとき最初に思いつくアルゴリズムはキャラクタの動きをFOR文で表すものだ。例えば、ミサイルが移動するなら、消して書いてを繰り返す。しかし、物体ごとにFOR文を書いても、その物体だけしか移動しない。だから、それぞれの物体が少しずつ移動する処理全体をループにする。これがはじめて自分で学んだアルゴリズムだった。当時の雑誌にはゲームのアルゴリズムがフローチャートで示されていたものだ。どのゲームを見ても同じようなアルゴリズムになっていた。それがわかるまでは、どうやってゲームを作ってよいかわからなかった。
次の壁は、プログラムを完全に動作するようにすることだった。つたないプログラマーだったからバグは山のように出た。全く思ったとおりの動作にならなかった。それを少しずつ直していった。
最後の壁は、プログラムのスピードだ。一応動くが、どうも遅い。結局、BASICでリアルタイムゲームを作るのは無理だとわかり、マシン語を学び始めた。マシン語をハンドアセンブリして、DATA文に並べ、メモリにPOKEする。USR関数を使ってマシン語を呼び出す。最初のうちは簡単に暴走する。非常に根気の要る作業だ。そのうち全部マシン語にするのは、自分の手に余るとわかった。
このように簡単なパソコンでBASICとマシン語を学んだのはとてもよい経験だった。
しかし、VIC 1001というパソコン自身は決して他人には推奨できない代物だ。友人のPC 6001がうらやましかったし、PC 8001にあこがれた。VIC 1001が69800円なのに対してPC 8001は168000円で、10万円の差があった。
それがVIC 1001だ。一番安いパソコンといっても、ワンボードマイコンにはもっと安いものも会った。CRCというマイコンは39800円くらいで販売していた。かなり迷ったあげくVICに決めた。この決断は間違っていなかったと思う。マイコンを買ったら直ぐに使わなくなっただろう。ハードウェアには詳しくなったかもしれないが、ソフトウェアを学ぶことはできなかっただろう。
VIC 1001はBASIC内蔵とはいえ、ユーザメモリは4KBくらいしかなかった。8KBの内蔵メモリ中、モニタとBASICが4KB使っていた。しばらくはそのまま使っていたが、どうしてもがまんできずに16KBのメモリカートリッジをつけた。結局、このメモリは宝の持ち腐れに終わった。当時の私のプログラミング能力では16KBのメモリを使い切ることはできなかった。
VIC 1001では、市販のゲームもしたが、はじめて自分でゲームを作った。どんなゲームかというと格子状の盤面で巡回する障害物を避けながらゴールを目指すゲームだ。これはある程度動いたが、マシン語にはまってしまい、あまり納得の行く出来にはならなかった。
BASICを習ったときIF,FORが何の役に立つかわからなかったが、ゲームを作ってはじめて役に立つことがわかった。
初心者がゲームを作るとき最初に思いつくアルゴリズムはキャラクタの動きをFOR文で表すものだ。例えば、ミサイルが移動するなら、消して書いてを繰り返す。しかし、物体ごとにFOR文を書いても、その物体だけしか移動しない。だから、それぞれの物体が少しずつ移動する処理全体をループにする。これがはじめて自分で学んだアルゴリズムだった。当時の雑誌にはゲームのアルゴリズムがフローチャートで示されていたものだ。どのゲームを見ても同じようなアルゴリズムになっていた。それがわかるまでは、どうやってゲームを作ってよいかわからなかった。
次の壁は、プログラムを完全に動作するようにすることだった。つたないプログラマーだったからバグは山のように出た。全く思ったとおりの動作にならなかった。それを少しずつ直していった。
最後の壁は、プログラムのスピードだ。一応動くが、どうも遅い。結局、BASICでリアルタイムゲームを作るのは無理だとわかり、マシン語を学び始めた。マシン語をハンドアセンブリして、DATA文に並べ、メモリにPOKEする。USR関数を使ってマシン語を呼び出す。最初のうちは簡単に暴走する。非常に根気の要る作業だ。そのうち全部マシン語にするのは、自分の手に余るとわかった。
このように簡単なパソコンでBASICとマシン語を学んだのはとてもよい経験だった。
しかし、VIC 1001というパソコン自身は決して他人には推奨できない代物だ。友人のPC 6001がうらやましかったし、PC 8001にあこがれた。VIC 1001が69800円なのに対してPC 8001は168000円で、10万円の差があった。
入門書と教科書
入門書と教科書は違う。
一般的に入門書はテクニカルライターが書き、教科書は教授が書く。テクニカルライターと教授の最大の違いは教育経験の有無だ。それが決定的な差になることがある。
つまり、入門書は純粋に学ぶ側に立って書かれるが、教科書は教える側に立って書かれてもいるということだ。その意味では、教科書より入門書の方がわかりやすいことがある。これは入門書がわかりやすい理由の1つでもある。しかし、入門書では独力で学ぶ必要がある。教科書は二人で学ぶようにできている。教師と学生の対話が盛り込まれている。
出版社は教科書が売れないという、それは授業で使えない教科書だからだ。教える側もそのような教科書には頼らない。必然的に強く推奨もしない。参考書と何ら代わりがない。出版社はもっと教えやすい教科書を作るべきだ。
教えやすい教科書とは、授業時間を意識した教科書だ。例えば、大学では90分で1コマとなる。よって、教える内容は90分で学べる単位にまとまっていなければならない。それ以上でもそれ以下でもいけない。入門書は純粋に内容でわけるため、時間配分ができない。
入門書を教科書に採択すると、入門書を講義用に再編集する手間がかかる。この手間は大きく無視できない。また、練習問題が少ないなどの問題もある。練習問題は時間調整に欠かせない。
一般的に入門書はテクニカルライターが書き、教科書は教授が書く。テクニカルライターと教授の最大の違いは教育経験の有無だ。それが決定的な差になることがある。
つまり、入門書は純粋に学ぶ側に立って書かれるが、教科書は教える側に立って書かれてもいるということだ。その意味では、教科書より入門書の方がわかりやすいことがある。これは入門書がわかりやすい理由の1つでもある。しかし、入門書では独力で学ぶ必要がある。教科書は二人で学ぶようにできている。教師と学生の対話が盛り込まれている。
出版社は教科書が売れないという、それは授業で使えない教科書だからだ。教える側もそのような教科書には頼らない。必然的に強く推奨もしない。参考書と何ら代わりがない。出版社はもっと教えやすい教科書を作るべきだ。
教えやすい教科書とは、授業時間を意識した教科書だ。例えば、大学では90分で1コマとなる。よって、教える内容は90分で学べる単位にまとまっていなければならない。それ以上でもそれ以下でもいけない。入門書は純粋に内容でわけるため、時間配分ができない。
入門書を教科書に採択すると、入門書を講義用に再編集する手間がかかる。この手間は大きく無視できない。また、練習問題が少ないなどの問題もある。練習問題は時間調整に欠かせない。
My PC History (1) 序章
私のパソコン履歴は長いようで少ない。コンピュータに触れたのは高校からだ。入学した高校に当時としては珍しいパソコンクラブがあり、そこでコンピュータを知った。
当時の認識では「コンピュータでプログラムを作ればゲームができる」という程度のものだった。逆の言い方をすれば、ゲームをするためには自分でプログラムを組む必要があった。余り関心がなかったので覚えてないが、ゲーム専用機もあっただろう。しかし、特定のゲームしかできない専用機よりプログラムさえ作ればどんなゲームもできるコンピュータの方が魅力的だった。
当時はボードコンピュータとパソコンの端境期で、クラブにあったパソコンは(おそらく先輩の私物であった)Hitachi Basic Master Level 2だ。これで初めてBASICを学んだ。今の学校のように先生から学ぶのではなく先輩から受け継ぐような指導だった。最初はLET,IF,FORも何の役に立つのか全く分からなかった。それでもこれは大変役に立った。事実、大学に進学した後、プログラミングの授業についていけたのはひとえに高校時代からの蓄積があったからだろう。逆に、これで自分はプログラムができると勘違いしたかも知れない。今では、自分が大したプログラマーでないことを自覚している。上には上がいるものだ。
私が所有したパソコンは以下の通りだ。
Commodore VIC 1001
Sony SMC777
NEC PC9801RA
DOS/V(Iiyama製)
おそらく他の人に比べると意外なほど少ないだろう。経済的な理由で高価なパソコンは買えなかった。常に安い代用品を使っていた。
しかし、それでも初期のVIC以外にはずれはなかったと思っている。これらのパソコンは実に役に立ってくれた。
当時の認識では「コンピュータでプログラムを作ればゲームができる」という程度のものだった。逆の言い方をすれば、ゲームをするためには自分でプログラムを組む必要があった。余り関心がなかったので覚えてないが、ゲーム専用機もあっただろう。しかし、特定のゲームしかできない専用機よりプログラムさえ作ればどんなゲームもできるコンピュータの方が魅力的だった。
当時はボードコンピュータとパソコンの端境期で、クラブにあったパソコンは(おそらく先輩の私物であった)Hitachi Basic Master Level 2だ。これで初めてBASICを学んだ。今の学校のように先生から学ぶのではなく先輩から受け継ぐような指導だった。最初はLET,IF,FORも何の役に立つのか全く分からなかった。それでもこれは大変役に立った。事実、大学に進学した後、プログラミングの授業についていけたのはひとえに高校時代からの蓄積があったからだろう。逆に、これで自分はプログラムができると勘違いしたかも知れない。今では、自分が大したプログラマーでないことを自覚している。上には上がいるものだ。
私が所有したパソコンは以下の通りだ。
Commodore VIC 1001
Sony SMC777
NEC PC9801RA
DOS/V(Iiyama製)
おそらく他の人に比べると意外なほど少ないだろう。経済的な理由で高価なパソコンは買えなかった。常に安い代用品を使っていた。
しかし、それでも初期のVIC以外にはずれはなかったと思っている。これらのパソコンは実に役に立ってくれた。
2008年1月4日金曜日
Gmailで自分宛メールを受信する方法
Gmailの問題点として指摘していた自分宛メールを受信(しても表示)できない問題に一応の対策ができたので報告する。
しかし、Gmailだけではうまくいかない。他にもう1つメールアカウントを必要とする。これは、それほど困難なことではない。例えば、foo@gmail.comとfoo@yahoo.co.jpがあればよい。
準備として、foo@yahoo.co.jpからfoo@gmail.comに転送するよう設定する。Gmailの[設定]-[アカウントの設定]でfoo@yahoo.co.jpを追加する。foo@yahoo.co.jpをデフォルトに設定する。普段はfoo@yahoo.co.jpを使い、foo@gmail.comは使わない。その後、メーリングリストにfoo@yahoo.co.jpを登録する。
自分宛に送りたいときはYahoo! Mailから送信する。そうすればGmailで受信できる。
この方法なら無料のアカウントだけで実現できる。
すでにGmailのアドレスが流布している人は他のアドレスに切り替える必要がある。メールアドレスの切り替えは面倒だが、全部切り替える必要はなく、メーリングリストだけ切り替えればよい。
Yahoo以外でも転送可能なメールアドレスがあれば実現できる。
しかし、Gmailだけではうまくいかない。他にもう1つメールアカウントを必要とする。これは、それほど困難なことではない。例えば、foo@gmail.comとfoo@yahoo.co.jpがあればよい。
準備として、foo@yahoo.co.jpからfoo@gmail.comに転送するよう設定する。Gmailの[設定]-[アカウントの設定]でfoo@yahoo.co.jpを追加する。foo@yahoo.co.jpをデフォルトに設定する。普段はfoo@yahoo.co.jpを使い、foo@gmail.comは使わない。その後、メーリングリストにfoo@yahoo.co.jpを登録する。
自分宛に送りたいときはYahoo! Mailから送信する。そうすればGmailで受信できる。
この方法なら無料のアカウントだけで実現できる。
すでにGmailのアドレスが流布している人は他のアドレスに切り替える必要がある。メールアドレスの切り替えは面倒だが、全部切り替える必要はなく、メーリングリストだけ切り替えればよい。
Yahoo以外でも転送可能なメールアドレスがあれば実現できる。
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