2007年7月1日日曜日

皇室報道で試されるマスコミの見識

「日本は特殊な国である」と自分たちで言い、他国の人からも言われる。
もちろん、日本以外の国でも何かしら特殊性はあるので、日本だけが特殊なわけではない。
日本の特殊性はやはり日本文化に根ざす象徴天皇制にあると思う。
外国からエキゾチックと映る日本文化も日本固有の制度と歴史に育まれたものだ。
(もっとも中国から輸入したものは今も昔も非常に多い。)
他にも国王がいる国は少なくない。日本の天皇は国王に該当する。
日本人が天皇(の歴史)に誇りを感じるのと、同様にそれらの国々の人も自国の王に誇りを感じているのだろう。
しかし、イギリスの報道などを見ていると、必ずしも誇りとは別の感情も感じてしまう。イギリスは開かれた王室の方針を採用している。日本の皇室もその方向を検討しながら、躊躇しているように思える。
天皇は大和朝廷の末裔ということになっている。
大和朝廷は日本を最初に統一した王朝であり、それが現在まで継続していることになっている。
世継ぎ問題が起きたのは平成だけではない。男系だけで継続させるという無理が何度も繰り返され、実際はかなり傍流に傾いているのだと思う。しかし、形式的には正真正銘の子孫である。
ともあれ、日本の歴史の中で天皇は常に存在し、時の権力者も天皇には一定の敬意を表して、不可侵とした。むしろ大義名分として利用した。日本の歴史の中で天皇が実権を握っていた時期はむしろ短く、ほとんどが象徴的な天皇であったと思われる。
なぜ、権力者は自ら頂点に立とうとしなかったのか?
おそらく、統治を簡単にするためには権力が集中していたほうが都合がよかったのだろう。朝廷を倒すということは統一の破壊、すなわち日本を分裂させることに他ならない。
しかし、今、戦争から遠く離れた平和な時代にあって天皇制は危機を迎えている。権力者がだれもなしえなかったこと(そして、しようとしなかったこと)をマスコミがするかもしれない。
マスコミが皇室をおもしろおかしく伝えるようになると、人々の皇室に対する敬意は薄れ、求心力もなくなる。もっとも、既になくなっているからマスコミもそのような行動に出るのかもしれない。
鶏が先か卵が先かわからないが、この先に待ち構える事態には注意が必要だ。日本皇室の終焉はノストラダムスの大予言のような何でもないことで終わるかもしれないし、逆に大きな変化を日本にもたらすかもしれない。
多くのマスコミは節度を持って皇室を報道しているが、中にはイギリス流の過激な報道に走るマスコミも出てくるだろう。
ジャーナリズムにタブーがあるというのは矛盾であり、その意味では過激な報道をするマスコミの方が正しいとも言えるが、そこで問題になるのはマスコミの見識である。
マスコミといえども人命に関する報道は控えるように自主規制している。過剰な皇室報道がともすれば日本文化の核を破壊するとすれば、ある意味人命以上の何かを失う可能性がある。そのような報道をどう扱うべきか、その行動によりマスコミの見識が試される。

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