今のプログラミング教育では、プログラムの美しさを教えることは難しい。
音楽学校では、音の美しさを追求しているだろう。音楽は美しさだけではないだろうが、美しさは極めて重要だ。
しかし、情報系の学校では美しさはなおざりにされている。美しさより、正しく動くこと、そして効率よく動くことが重視される。これは、ある意味では当然だ。美しくても正しくなく、効率の悪いプログラムを喜ぶ人はいない。しかし、これは段階的な発展だ。今の教育では、効率まで教えるのが精いっぱいで、美しさを教えるところまで至らないということでもある。
プログラムの美しさには、いくつもの評価軸が考えられる。代表的な評価軸はソースの読みやすさだろう。デザインパターンもソースを抽象的に把握するために役立つ。
しかし、単に、コメントを書いたり、適度にインデントするだけでは十分でない。いうなれば主張、あるいは哲学が必要だ。
プログラムはプログラミング言語でかかれた文学だ。その主題を読み取る技能が読み手にも要求される。短い作品は容易に理解できるが、大作となるとなかなか理解できない。読み手の問題もあるが、実は書き手の問題もある。書き手が読み手のことを考えずに、単に動けばよいという手抜きをすると、とたんに読みにくくなる。
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