今現在の状況を考えると、おそらく答えはNoだろう。
2つの理由で判断できる。1つはそもそも大多数の若者には読書をしようという意思がないこと、もう1つは若者に読みたいと思わせるコンテンツがないことである。私に言わせれば、前者が主であり、後者が従だ。それだけ根深い問題だと言える。
iPadは若者にも人気だと思うが、実のところ実際に所有している若者は決して多くない。若者はいまだに携帯に依存している。iPhoneもiPadも、PCすら必要性を感じていない。よって、おしゃれなiPadで電子ブックを読書するようになる若者が増えるだろうという考えは甘い。
iPadはPCより安いが、Netbookほどには高い。これは小遣いで気軽に買える範囲ではない。しかも小遣いの大半を携帯電話代として支出してしまうものには、わずかな小遣いしか残らない。さらにiPadは携帯の代わりに使えるものではない。よって、若者がiPadを使いこなすシーンはしばらく見られないだろう。しばらくとは、親の景気が良くなるまでだ。それは日本の景気が回復するまでだといってもよい。
製造者にも責任がある。iPhone, iPad, PCのいずれも安くないが、そのすべてを購入しなければ快適なデジタルライフが完成しないのだ。iPhoneもiPadもPCを必要とする。しかし、iPhoneやiPadを購入するとその通信費も合わせればPCを買う余裕がない。All or Nothingだ。そしてNothingを選ぶものは多い。普通の携帯で十分だからだ。しかし、学生も就職すれば、やがてiPhoneを選択するだろう。
もう1つの理由も深刻だ。iPadの登場で電子ブック市場は活気づいている。しかし、市場の活気と正反対にコンテンツの充実は遅々として進まない。今は期待が先行している。
その期待がいつまで続くかが問題だ。日本のコンテンツのステークホルダーは既得権に固執し、世界の流れから孤立することを厭わないようだ。元々日本語という見えない関税障壁に保護されていた産業である。世界を見る気はないのだろう。しかし、一部のコンテンツは世界を相手にすることで成功を収めており、世界を無視することの愚かさを立証している。
よく日本の識者が著作権と絡めて電子化を議論するが、それはほとんど無意味だといってよい。日本が鎖国に戻るのでない限り、世界が電子化を選択している以上、それに従うしかない。むしろ、抵抗することによって、日本人が良質の電子ブックを読めないことの弊害が大きい。若者に読書しろと言いながら、読むべき本を作らないでいる。逆に、英語や中国語の電子ブックはどんどん出版されるだろう。読書量が科学力や技術力、そして文化力を決定するといってもよい。今の日本は自分で自分の首を絞めているといってもよい。
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