博士論文は国会図書館に保管される。知らなかった人も多いかもしれない。しかし、すべての論文が国会図書館に収蔵される訳ではないので、ある意味おかしな話だ。理由は、博士論文が実は論文ではなく著作だからだ。論文と書籍の二面性を持っているが、本質的には書籍なのだ。なぜなら、博士論文はそれまでの研究の集大成であるが、個別の内容は既発表のものであり、それ自体には新規性が何もない。そのようなものを論文とは言わない。
しかし、書籍ならそれを読むのに代金を払うべきだが、博士論文が売れたという話は聞いたことがない。
一方で、論文はその事実を広くて知らしめるために、なるべく多くの人に見てもらうように公開する。公開するといったが、それを入手するにはお金がかかる。これは不思議なことだ。なぜなら、読者が払ったお金は著者には行かないからだ。読者は著者に払ったつもりかもしれないが、そうではない。それは学会あるいは出版社へ行く。著者は逆にお金を払って掲載してもらうのだ。
経営にお悩みの雑誌編集者に朗報だ。世の中には、広告以外にもお金を払って出版したいと思う人がいるのだ。普通の雑誌に論文を混ぜれば、それだけで経営が成り立ってしまう。もっとも査読という厳しい品質管理ができない雑誌にはだれも投稿しないのだが。
ともかく学会または出版社は著者と読者から二重取りしている。これが自費出版なら著者に著作料が還元されるはずだし、雑誌ならその記事は少なくとも無料で掲載されるはずだ。論文とは、そのいずれでもない不可思議な出版なのだ。いずれ誰かがビジネスモデルを根底から変えてくれることを願う。
長い前置きだったが、これからが本番だ。
このように博士論文は変わった書籍だが、これを学位の条件とする大学がすべてだ。そこで学生は最小限の部数で製本しようとする。出版なら喜んでするだろうが、上で述べたように出版というより製本に近い。しかし、それでも安くはない。軽く初任給は超えるだろう。そこで、これを如何に安くするかが重要だ。これは印刷会社しか儲からず、しかも研究にとっては全くの部外者に過ぎない。編集者のように編集するわけでもない。そこで、電子出版、しかもオンデマンド出版にすればよい。これを認めれば印刷会社以外の関係者は皆喜ぶ。著者は安くできるし、場合によってはAmazonで売れるかもしれない。国会図書館は蔵書の保管が楽になる。審査員には印刷物を渡す必要があるが、最終版以外はプリントアウトすればよい。どうしてもという時にはオンデマンド印刷すればよい。
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