2007年9月19日水曜日

環境問題における途上国の論理

途上国、というより新興国といったほうがよいかもしれない。
新興国はこれから経済発展を目指す。
その熱意は高い。
しかし、その矢先に環境問題が急浮上してきた。
先進国は経済発展もさることながら地球規模の環境問題に配慮している。
アメリカも重い腰を上げた。
新興国が先進国となるには、経済発展だけでなく世界の中で応分の環境責任を果たす必要がある。
新興国には、いままで先進国が好きなだけ資源を使ってきたのに、自分たちが使えないのはなぜかという主張がある。
先進国は、その問いに論理的に解答する義務がある。
日本が発展したときに欧米諸国に石油を使うなと主張したことはない。発展が遅れたのは先進国のせいではない。確かに帝国主義の傷跡は小さくない。しかし、既に宗主国から解放されて数十年たっている。中国の現状が示すとおり、あるいは日本の戦後復旧が示すとおり、適切な政策を選択していれば、発展に必要な時間は20年もあれば十分だ。
確かに、現実に、うまく発展できない地域も多い。他国の支援なくして自立できない地域も多い。しかし、それらの国にはいずれも政治が発展を阻害している。外部の要因で発展できないのではなく、内部の要因で発展できない。国民のせいとはいえないが、国のせいではある。だらか、国民のための国になる必要がある。
話を戻そう。
新興国の問いに答えるには以下の点をはっきりさせる必要がある。
先進国が資源が有限だと認識したのはいつか?
確かに昔から石油が有限だということは把握していたが、採掘量が年々増加していたため危機意識は薄かった。おそらく今も石油が枯渇するとまじめに考えている人は少ない。いずれ枯渇することは知っているにもかかわらず。
それ以降、先進国は石油を無駄遣いしてきたのか?
車の燃費が象徴している。日本は石油ショック以降明らかに節約している。しかし、先進国全体では無駄遣いしているともいえる。
これら点から先進国は好きなだけ石油を使ってきたという主張は認めざるを得ないだろう。
次は、新興国が自由に使えないのはなぜかを考える。
公平な対価を支払って入手した資源をどう使うかは自由だ。よって、新興国は自由に使える。しかし、その結果は資源の枯渇に他ならない。共倒れだ。もちろん、先進国だけが軍事力や経済力で新興国に使わせないということはない。
先進国は石油の消費を抑えるだろう。そして、長い時間がかかるがやがて石油文明から脱却するだろう。先進国が石油文明から脱却できれば、その技術を供与できる。しかし、新興国が石油の消費を抑えなければ、新興国の経済は活性化するが、先進国は石油文明から脱却する時間的猶予がなくなるかもしれない。
要するに、石油はおそかれはやかれなくなる。それは覚悟しなければならない。問題は消費のスピードだ。消費が早いと温暖化も進む。文明の進化も間に合わない。
私の結論としては、新興国の主張は間違っていない。先進国に途上国の石油使用を止める権利はない。問題は石油をどうするかではなく、石油の次をどうするかだ。それを研究するには多くの国が協力したほうがよい。だから、新興国が発展するのはむしろ望ましい。ただし、時間は限られているので、すべての国が自重する必要がある。

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