2010年7月29日木曜日

デジタル教科書

ソフトバンクの孫社長は「2015年にはデジタル教科書を全小中学校に」(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100729/350755/)導入するべきとの意見であるようだ。これは同社がiPadを販売しているからという理由もありそうだ。素直に賛成しかねる。
邪推なしに考えても、iPadを含めた電子ブックリーダはまだ紙の教科書と同じ使い勝手には達していないことが、Kindleの実験でも証明されている。KindleがだめでiPadならよいということはない。むしろ実績としては逆の方があり得る。
この議論をするには2つの点に注意する必要がある。
1つは、デジタル教科書と紙の教科書はどこまで同じであるべきか、また異なるべきかという点だ。マルチメディアが登場した際にもデジタルの優位性が主張された。実際、今の若者は本を調べるより先にWebを検索する。しかし、これはマルチメディアだからではなく、アクセスあるいは検索が容易だからだ。デジタル=マルチメディアだからといってすぐに教科書が分かりやすくなるわけではない。特にPCより非力な電子ブックリーダで再生するなら、たいしたことはできない。一方、重い教科書を持ち歩くことが少なくなったとも聞く。これにはデジタル教科書は効果があるだろう。しかし、電子ブックリーダが本だけでなくゲームもできるなら、はたして学校に持っていくことが許されるだろうか?一部地域では携帯も持ち込み禁止となっているとも聞く。ほとんどゲーム機といってよいiPhone/iPadならなおさらだろう。
2つ目は、どの年齢の子供にデジタル教科書が適しているかという問題だ。私見だが、小学校低学年はまだ体で字を覚える年齢なので、字が身に着くまではデジタル化すべきでない。早くても中学校、無難なのは高校からデジタル化することだ。多くの教科書を持ち歩く学年ほどデジタル教科書の効果は高い。本来は大学レベルの話だろう。
このまま終わりにするとデジタル化反対に聞こえてしまう。そこで補足すると、基本的には電子書籍には賛成だ。とにかく本を読むようにならないと文化も技術も衰退する。そのためには紙の書籍には限界がある。持ち歩くに困るほどの量になるからだ。しかし、それだけの読書をこなすには、読書のリテラシーが必要であり、それはある程度の年齢を経過しないと身に付かない。急がば回れともいう。子供に無理をさせる必要はないと思う。

食べるラー油

ここ数日外食が続いている。そしてそのすべてが食べるラー油のメニューだった。意図したものではなく、入った店で選んだら全部そうなったというだけだ。確かに今食べるラー油はブームのようだ。
中華のバーミヤンにラー油メニューがあるのは普通だろう。また、ハンバーグやハンバーガーもブームに合わせやすい。Ducky Duckに食べるラー油スパゲティがあるのには少々驚いた。これが結構合う。
おそらくラー油ブームも長くは続かないだろう。これらのメニューも今しか食べられないだろう。それとも以外と息の長い商品として定着するだろうか。とても賭ける気にはなれない。

2010年7月24日土曜日

Gmailの連絡先を統合するには

Gmailの連絡先には、同じ人の異なるアドレスが複数件登録されていることがある。これらの連絡先は統合できる。しかし、統合する際、困った問題が起きる。
それは、一旦統合すると、複数のアドレスの1つしか使えなくなることだ。メールを送る際に、仕事で送るのか、自宅で送るのか、状況に応じて選択する必要がある。しかし、統合された場合は、そのうちの1つしか使えない。
これは、かえって不便なので、統合しないことが多い。逆に、これを統合というのは誤りだろう。このあたりは修正してほしい点だ。

学問のすすめ

福沢諭吉の「学問のすすめ」は、名前こそ有名だが、実際に読んだ人は少ないのではないだろうか?
これは口語体以前の古典中の古典でもある。さすがに歴史的には源氏物語には遠く及ばないが、現代文と言えないことは確かだ。よって、これを読みとおすのはかなり根気がいる。
今回、学問のすすめを読んでみて、有名な1章だけでなく、続きがかなり長いことも知った。しかし、そのすべてが理路整然と書かれていることに驚かされた。未来から過去を振り返ることは易しい。しかし、その時代の中にあって将来を見通すことは難しい。この本が見事に将来を予想していることは驚くべきことといえる。
明治は激動の時代だ。それは現代にも通じる。実のところ、現代は不透明ではあるが、明治ほど激動ではない。むしろ、深く静かに変動するから余計に分かりにくい。
明治には西洋化という単純な答えがあった。今は単純な答えが見えない。しかし、西洋化という答えも未来から見通した解答例に過ぎない。福沢諭吉は、その時代の中で、自分の頭でその回答にたどりついた一人だ。したがって、今の不透明な時代でも正しく読み切れば、未来を十分に見通すことは決して不可能とは言えない。
やや問題なのは、多くの識者が独自の予測を公開するので、かえって情報が混乱していることだ。よって、受け取る側も正しく判断できる能力が要求される。

青空文庫で古典を読もう

青空文庫は無料の電子ブック書店だ。iPhone, iPadはもちろん携帯やPCでも青空文庫の電子ブックを読むことができる。
前の記事で若者はiPadで電子ブックは読まないだろうと推測した。しかし、読んでほしいと思っている。iPadでなくてもよい。携帯でも読めるのだから読んでほしい。少々大げさだが、それしか日本を立て直す方法はないと言ってもよい。読書が国力を決定する。
青空文庫の本はいずれも著作権が切れた古典だ。音楽でいえばクラシックだ。古典は時代を超えて残った秀逸なものばかりだ。ロックは人気があるが、音楽の世界ではクラシックが最高峰だろう。同様に、現代の人気作家の作品も悪くないが、古典は何度繰り返して読んでもいい。いつの時代にも影響を与えた。無料で古典の秀作が読めるのに、わざわざ高い金を払って駄作を読む必要はない。
しかし、現代のくだけた文体に比べて、古典はいささか古めかしい。とっつきにくい。違和感を感じる。しかし、それを乗り越えると、その表現力に感動を覚える。現代作家も華麗な表現は巧みだ。しかし、古典の表現は素朴でかつ力強い。もちろん作家による。

若者は電子ブックを読むか?

今現在の状況を考えると、おそらく答えはNoだろう。
2つの理由で判断できる。1つはそもそも大多数の若者には読書をしようという意思がないこと、もう1つは若者に読みたいと思わせるコンテンツがないことである。私に言わせれば、前者が主であり、後者が従だ。それだけ根深い問題だと言える。
iPadは若者にも人気だと思うが、実のところ実際に所有している若者は決して多くない。若者はいまだに携帯に依存している。iPhoneもiPadも、PCすら必要性を感じていない。よって、おしゃれなiPadで電子ブックを読書するようになる若者が増えるだろうという考えは甘い。
iPadはPCより安いが、Netbookほどには高い。これは小遣いで気軽に買える範囲ではない。しかも小遣いの大半を携帯電話代として支出してしまうものには、わずかな小遣いしか残らない。さらにiPadは携帯の代わりに使えるものではない。よって、若者がiPadを使いこなすシーンはしばらく見られないだろう。しばらくとは、親の景気が良くなるまでだ。それは日本の景気が回復するまでだといってもよい。
製造者にも責任がある。iPhone, iPad, PCのいずれも安くないが、そのすべてを購入しなければ快適なデジタルライフが完成しないのだ。iPhoneもiPadもPCを必要とする。しかし、iPhoneやiPadを購入するとその通信費も合わせればPCを買う余裕がない。All or Nothingだ。そしてNothingを選ぶものは多い。普通の携帯で十分だからだ。しかし、学生も就職すれば、やがてiPhoneを選択するだろう。
もう1つの理由も深刻だ。iPadの登場で電子ブック市場は活気づいている。しかし、市場の活気と正反対にコンテンツの充実は遅々として進まない。今は期待が先行している。
その期待がいつまで続くかが問題だ。日本のコンテンツのステークホルダーは既得権に固執し、世界の流れから孤立することを厭わないようだ。元々日本語という見えない関税障壁に保護されていた産業である。世界を見る気はないのだろう。しかし、一部のコンテンツは世界を相手にすることで成功を収めており、世界を無視することの愚かさを立証している。
よく日本の識者が著作権と絡めて電子化を議論するが、それはほとんど無意味だといってよい。日本が鎖国に戻るのでない限り、世界が電子化を選択している以上、それに従うしかない。むしろ、抵抗することによって、日本人が良質の電子ブックを読めないことの弊害が大きい。若者に読書しろと言いながら、読むべき本を作らないでいる。逆に、英語や中国語の電子ブックはどんどん出版されるだろう。読書量が科学力や技術力、そして文化力を決定するといってもよい。今の日本は自分で自分の首を絞めているといってもよい。

2010年7月23日金曜日

JVM内の仮想プロセス

JVMは1つのプロセスとしてOS上で実行される。
プロセスはメモリが独立しており、共有しない並行実行の単位だ。よって、ソフトウェアから見るとプロセスもPCも大差なく、いずれも分散環境を構成している。
しかし、Javaで分散システムのモデルを作成するとスレッドで表現することになり、共有してはいけないにもかかわらずデータを共有してしまう。それによって実際にはありえないバグが混入することがある。
そこで、JVMにもメモリを共有しないプロセスを導入してはどうだろう。実際のプロセスはOSに強く依存するので仮想プロセスが良いと思う。仮想プロセスが使えるとソフトウェアの信頼性を高めることができる。例えば、スレッドで構築しているFirefoxはよく落ちるが、プロセスで構築されたChromeはなかなか落ちない。原因はそれだけではないだろうが、そのような傾向はある。
一見、無駄なことをしているようだが、手軽にできる手法としては有効なものだろう。

2010年7月22日木曜日

JNode

JNodeはJava OSだ。昔からJava OSは様々あったが、満足に使えるものに出会ったことがなかった。
JNodeは開発中ではあるが、少なくとも動かすことができるので、いろいろ使えそうだ。
OpenJDKで動作するようで、Sun JDKよりは遅いらしい。
コマンドはJavaの特徴を生かしたユニークなものだ。これを覚える気は正直しない。むしろ一般的なUNIXのコマンドが移植されてから本格的に使うようにする方が良いだろう。しかし、あまりにUNIXに固執するとJavaの長所も失う可能性があるので、妥協は必要だ。
面白い特徴としてネットワークに拡張されたPATHがある。Javaではあたりまえだが、UNIXにはそのような考えはない。例えば、Webサーバで公開されたclassファイルへのURLをclasspathに追加すると、それをコマンドとして利用出来る。つまり、わざわざインストールする必要がないわけだ。このようなアプリケーションの配信方法は真面目に議論するに価するだろう。