2011年10月28日金曜日

Turron

土産にトゥロン(turron)を買った。アーモンドの粉と砂糖などからなる練り菓子だ。他の国でも似たような菓子があるように思えるが、一番スペインらしい気がした。単に名前が違うだけかもしれないが、オリジナリティがある。
実は、オリジナリティといえば、チュッパチャプスがバルセロナ生まれらしい。しかし、そのことを知らない人に土産として渡してもあまりありがたがってはもらえないだろう。日本でいくらでも手に入るのだから。
トゥロンの種類は多く、一人で全部食べるのは無理だ。仲間と少しずつ分け合いながら食べるのに適している。その割には、ナイフでも持っていないと切り分けるのは難しい。

パエリャ

スペインに来てパエリャを食べないわけにはいかないだろう。そこで、Ambos Mundosという店で食べたのだが、意外?にコメが堅かった。確かに、日本と違い?米を炊いてから、さらに煮込むわけではないので、米が固いのは当然かもしれない。しかし、日本のパエリャよりずっと固く感じた。
ところで、後日談だが、翌日Reunion Restaurantでもパエリャを食べたが、日本と同じくらいの柔らかさだった。
いろいろなパエリャがあるが、その店の一番人気だというパエリャを食べた。いろいろな魚介類(といってももっぱら貝とエビが中心)が入って濃厚な味だった。量は少し多めだが、取り皿は出てこなかったので一人前のようだ。複数人で食べるならシェアしてもよいだろう。写真で選べるので、特に言葉には困らない。
後でガイドブックを見ると、隣の店(ラス・キンザ・ニッツ, Les quinze nits)が紹介されていた。よい店を選ぶコツは込んでいるかどうかだという。少なくとも外から見るとラス・キンザ・ニッツが空席が目立ち、人気がないように見えた。しかし、これには後日談がある。ラス・キンザ・ニッツでは、食事は中でしか食べられない。外の席はドリンクだけのようだ。翌日、ラス・キンザ・ニッツにも行ってみて、はじめて気がついた。
ラス・キンザ・ニッツで、フィデウアを食べた。フィデウアはコメの代わりに短いパスタを使った(一応?)パエリャらしい。カタロニア地方ではポピュラーなものらしい。ラス・キンザ・ニッツのフィデウアは二人前しか選べない。腹が空いていたので、二人前でも十分完食できた。しかし、やはり腹持ちが相当良かった。
スペインの食事時間は微妙に他の国と違う。昼食が2時ごろと遅く、しかも3食中のメインになる。朝と夕はあっさり目にするらしい。ダイエットには適していそうだ。しかし、朝食から時間が空くので、ついつい食べ過ぎてしまう。結局、ダイエットにはなりそうもない。二人前食べて、ダイエットになるはずがない。
このフィデウアというもの、日本の料理で一番近いのは、焼きそばかもしれない。麺の長さからいえば、焼き飯抜きのそばめしという表現がしっくりくる。ソースがマヨネーズ風味な点もそっくりだ。もちろん麺ではなくパスタだし、ソース味でもない。逆にいえば、このソースは焼きそばにも合うのではないかと思える。フィデウアを真似した焼きそばを考えると、名物B級料理になるのではないかと思う。うまく、ご当地B級グルメとして普及させると、町おこしになるかもしれない。

グエル公園

Lesseps駅から延々と歩いてグエル公園に着いた。こんなに遠いとは思わなかった。
苦労して着いたグエル公園だが、対して面白いところではない。有名な正面玄関とベンチは見どころだが、それ以外は単なる山だ。実際、その2か所にしか人がいない。他は少々怪しげな人々(明らかに観光客ではない)がたむろしていて危険な感じがする。
ここまで歩いてきた疲れと危険な雰囲気で、ガウディ博物館まで登るのは断念した。帰りはタクシーで帰った。帰りがてらにタクシーからガウディ設計のカサをいくつか見て回った。

通信する電子レンジ

2.4GHz帯は無線ネットワークの重要な帯域だ。ユビキタス社会を実現するうえで重要な周波数帯だ。しかし、家庭では電子レンジ等に使われている。一般人にとってはネットワークより電子レンジの方が切実なので、電子レンジの周波数帯を変えるのは難しい。また、変えるとレンジとしての効果がなくなる。もちろん電子レンジはシールドしている。しかし、完全ではない。そこで、逆の発想を提案する。
電子レンジを基地局にしてはどうだろう。強力な基地局にすることができるかもしれない。もちろん電波法で制限されるので、シールドがなくなるわけでもないし、なくしたらそれこそ大変だ。ここでは、温めるための使い方に通信の役割を併用するということだ。電子レンジが通信の障害になるなら、逆に通信するレンジを作ってしまえばよい。

Sagrada Familia

Sagrada Familiaを見てきた。外からだけでなく中にも入った。
中に入るまで長い行列に並んだ。それでも列の長さに比べると待ち時間は意外に短かった。10-20分はかかるだろう。
lift付きのチケットは少し高いが、このときliftは使用不可になっていたため、上に登ることはできなかった。階段も進入禁止だった。
外見はよく知られているので、特にコメントの必要はないだろう。内部だけ述べる。
普通の教会と異なり、内部が明るかった。まるでオフィスか、美術館のようだ。古い教会の像はいずれも写実的だが、Sagrada Familiaの像はいずれも美術品の彫刻ように抽象度が高い。外壁の彫刻も同様だ。これはつまり全体が美術品の塊だということだ。
しかし、個人的には古い教会の雰囲気の方が好きだ。liftが動いてなければ、長い時間待ってまで、もう一度行こうとは思わない。

Metro Barcelona

Metroのチケットはクレジットカードで購入できる。電子マネーもよいが、基本的にカードから入金できる方がよい。PASMOもあるが、匿名デバイスのSUICAででできることに意味がある。
朝の地下鉄は結構混む。それでも日本のラッシュには程遠い。地下鉄自体混むことを前提にしていないためか、吊り輪がないので困る。駅でスリに気をつけるよう日本語の放送が流れていた。実際に乗ってみると特に不安を感じない。しかし、油断しない方がよいのは当然だ。

Hotel Catalonia Catedral

バルセロナの出張で泊まった。大聖堂近くで観光には適している。値段もそれ程高くない。もっともディスカウントのおかげもある。
インターネットは無線LANが無料で使える。しかし、電波が弱いので時々切れる。特に不便ではない。
全体的におしゃれで新しく改装されているようだ。朝食もうまい。特にクロワッサンが気に入った。中がしっとりとした感触がよい。
部屋は広く(シングルにしたつもりだったが、閑散期だったのかツインになっていた)、ちゃんとバスタブもある。歯ブラシはないが、それ以外はアメリカ式ホテルと変わらない。
唯一の難点は、タクシーで直付けできないことだ。観光地に近過ぎて車両進入禁止らしい。夜到着すると迷う。しかし、最近はiPhoneがあるので困らない。パケット定額で地図を表示できるからだ。

ホテルの北側、徒歩数分の場所にカタロニア広場がある。ここから空港バスが出ている。行きのタクシーは25eurだったが、帰りは5eurで帰ることができる。

2011年10月24日月曜日

3本の矢より1本の木

だいぶ前のことだが、9月21日に関東・東北地方を大風が襲った。ちょうどそのとき仙台に出張しており、帰りの新幹線が2時間遅れた。新幹線だったおかげで2時間程度の遅れで助かった。国際線の航空機では6時間機内に留められたそうだ。これも一つのエピソードだが、翌日もう一つのエピソードが待っていた。
上の写真はキャンパスのシンボルツリーが台風で折れた様子だ。この木はキャンパスのほぼ中心に位置している木なので、まさにシンボルツリーといってよい。それがあっさり折れているので、いかに台風が激しいものだったかわかる。しかし、実は、折れた木はこれだけで、他の木は無事だった。逆の見方をすれば、この木がいかに脆弱であったかを示すものだ。
写真をよく見ると、この木は複数の細い木がより合わさってできれいることがわかる。ちなみに、無事だった木はどれも根から1本太い幹がそびえるような大木だ。この木だけが細い複数の幹で成り立っている。
そこで思い出したのが、毛利元就の三矢の教えだ。1本の矢より3本の矢の方が強い。これは当たり前だ。もちろん寓話としてとらえるべきなので、あまり上げ足をとるつもりはないが、3本の矢の方が断面積が大きいのだから強いのも当然だ。言い換えるなら3倍の兵力がある方が強いに決まっている(三矢の教えは、兵力より協力を重視している)。しかし、同じ兵力だったらどうだろう。3分割した方が強いと言えるだろうか?1本の木が倒れず、複数の細木が寄り添った大木が折れたということは、いかに協力が困難であるかを示す逸話になるだろう。

Web文献の引用保証

Web文献を引用あるいは参照する文書を書くとき、いつその文献にアクセスしたか、いつの時点で存在していたかを示すことになる。しかし、実際にはそのような日付が書かれていてもそれが真実であるかどうか保証することはできない。そこで、それを保証してくれるシステムが欲しい。

アクセス数によるランキング

検索結果を適切に並べるためにランキングアルゴリズムは決定的な支配力を持つ。Googleにとってランキングアルゴリズムはコカコーラのレシピのようなものだ。あまりに貴重なものだから特許でさえ取れない。
しかし、古典的なTF・IDFもPageRankも静的な文書構造に由来するものであり、直接適切さを示すものではない。もっとも直接的な適切さは人間自身の選択行為による。すなわちアクセス数だ。しかも、単純にアクセスすればよいのではなく、クエリーと関連づいてアクセスしなければならない。つまり、検索結果のページからアクセスする必要がある。これは一種の自己矛盾を含む。つまり、検索されるものはもっとアクセスされ、逆はない。アクセスから検索結果が求められるべきなのに、検索結果がアクセスを支配してしまう。
しかし、それでも徐々にアクセスの重要性が高まり、問題点は是正されるだろう。これはソーシャルなランキングでもある。