2009年11月27日金曜日

スパムの倫理

スパム、いわゆる未承諾広告メールは迷惑メールとも言われるが、企業にとっては有効な宣伝方法であり、禁止することは難しい。
しかし、最近のスパムは自ら未承諾広告と題するほど行儀がよい。その意味では決して昔のような迷惑メールではない。一方で、確かに詐欺まがいの迷惑メールも後を絶たない。両者は区別されるべきだろう。ここでは前者をスパム、後者を迷惑メールと呼ぶことにする。
そうなるとスパムは積極的にビジネスに利用すべきだ。その場合、明確な倫理基準が必要だ。
スパムでは今でも基準がある。例えば、オプトアウトだ。しかし、オプトアウトでは承諾後にメールすることになるので、未承諾メールではない。つまり、スパムには当てはまらない。スパムは原則オプトインでなければならない。
そこで、オプトインでの基準を設ける必要がある。まず、未承諾のまま同じ人に送信するべきではない。ただし、内容が異なるなら送りたくなる。そこで内容が異なる場合でもいっていの期間、送信を控えるようにすべきだ。1週間くらいが妥当だろう。またメールのサイズも最小にすべきだ。細かいことはリンク先に掲載し、メールには要約だけに留める。これは多数の人に送るためにも欠かせない。双方に意味がある取り決めだ。また、送信間隔が十分長いので、送信側も一度に多数に送るのは控えるべきだ。時間をかけて少しずつ送ればよい。ただし、マルチキャストが使えるなら一度に送っても構わない。メールでの効率的なマルチキャストというのは面白いテーマかもしれない。まだ工夫の余地はありそうだ。
また、一度承諾してもいつでも取り消すことのできるリンクも必要だ。

日本全国日帰り化

ホテル業にはうれしくない話かもしれないが、全体の経済活性化には意味がある方針だろう。もっとも新幹線が通ることで、かえって経済が空洞化するという指摘もあり、疑問があることも事実だ。しかし、競争力があれば、客を呼び込むことができるので、公平ではある。もちろん、相乗効果は都会の方が強いので全体としては、都会有利だろう。しかし、全国ともなれば都会でなくても競争力のある地方は少なくない。
新幹線と飛行機の時間差は微妙だ。北海道や九州、沖縄は飛行機圏だ。しかし、その近くは微妙な位置にある。広島は東京から新幹線でも4時間かかる。むしろ福岡の方が東京に近いともいえる。しかし、飛行機を使うには微妙な距離だ。乗り換えだけで時間差は埋まってしまう。
この問題もネットワークと同じだ。ネットワークではラストワンマイルがもっともコストがかかり、それゆえ遅い。家から駅まで30分、駅から空港まで1時間はかかる。そうなれば後は飛行機で1時間くらいしか飛ぶ時間はない。やはり地方空港を使うしか方法はなさそうだ。そのためには燃費のよい小型飛行機が必要だ。それをシャトルのように往復させるしかないだろう。乗り降りの待ち時間はチケットの電子化でほぼ無視できる。問題は荷物くらいだ。小型飛行機では荷物を機内に持ち込んでしまえばよい。
空港と鉄道の連携も重要だが、鉄道の整備は事実上不可能に近いので、大半は道路とバスに頼ることになる。バスも電気化されるので、鉄道と環境負荷では大差ないだろう。

授業におけるストーリー

ある本によると、人が面白いと思うストーリーには一定のパターンがあるそうだ。
何かが欠けている状態があり、それが問題を引き起こし、それを解決する行動の結果、欠けていたものが満たされる。これはかなり普遍的なおもしろいストーリーの構造となる。
このような話の流れは聞くものに興味を引き起こす。
今、面白くない授業を聞いて眠くなっている学生を引き込むには、このようなストーリーのパターンを使うことも有効だろう。
具体的には、問題を提示し、それを次々解決される様を追体験する。よく先生と生徒を登場させ、二人の会話を通じて読者も学ぶという方式の本がある。これもストーリーの応用といえるだろう。
しかし、この方法にも問題点はあるように想える。それは構成の難しさだ。プロレベルの構成作家でもない教師がうまくできるかわからない。どちらかと言えばうまくいかないような気がする。
根拠は歴史の授業だ。そもそも問題解決のパターンは技術や文化の発展の歴史といってもよい。我々人類が歴史を通じて多くのことを学んだ。今日のあり方を説明するには、過去の経緯を話すことだ。それはストーリーそのものでもある。しかし、歴史がそれほど楽しい授業だったろうか。自分の経験と照らし合わせてみるとよい。先生次第という方法論では不完全だ。先生次第の部分があってもよいが、大半が方法論の結果でなければ方法論としての有効性は証明できない。プロジェクトXは面白いが、歴史は面白くないとすれば、両者の違いをよく考える必要がある。
失敗する原因の一つは歴史に忠実でありすぎることだろう。授業のためのストーリーはそのままの歴史ではいけない。細部にこだわらずに本質だけに留めた架空の話の方がよいこともある。

2009年11月21日土曜日

インテリジェントアクセサリー

製品開発で重要なのは利益率と製品単価だ。いずれも高い方が設けが大きい。
利益率の高い商品の筆頭は、ブランド品だろう。UNIQLOと一流ブランドでは大きな差がある。しかし、原料にそれほど大きな差はない。
製品単価の高い商品の筆頭は、家だろう。一生に1回くらいしか買えないが、一生を左右するほどの大金を投じる。家は、金額もさることながら利益率も家電などよりよほど大きい。
いずれの意味でも魅力がないのはPCだ。通信料の方が大きいくらいで、1円で売られることもある。携帯の方がまだ差別化がある。日本企業がPCから撤退するのもうなずける。
そのような意味から考えると、家電メーカーが今後開発すべき商品はインテリジェントアクセサリーだと思う。アクセサリーはブランド品であり、利益率が高い。しかし、家電メーカーが大量生産してもブランド価値は高まらない。一流ブランドには及ばない。そこでブランドとの差別化をインテリジェント化で行う。どのような機能を盛り込むかはアクセサリーの種類によって異なる。
あまり意味のないインテリジェントアクセサリーの代表は、ダイヤをちりばめた時計だろう。しかし、それでも売れている。
インテリジェントアクセサリーを販売するには信用力が重要だ。つまり一生に近い年月の間、ずっとサポートするつもりがなければ製品化できない。そのかわりサポートは有料でよい。サポートサービスでも儲けることができる。陳腐化する情報機器では難しいが、それを成し遂げることができれば新たな市場が開ける。

2009年11月18日水曜日

論文生産法

論文のオリジナリティを判断するとき30%ルールが適用される。つまり30%内容が異なれば別の論文とみなされるということだ。このルールを厳格に守ると同時に、積極的に利用することで、論文の生産性を高めることができる。
まず2ページの論文を1週間ほどで書き、次に4ページ、6ページ、9ページと1週間ずつ増やす。執筆中に得られた成果を盛り込むことで、30%ルールを満たす。
2ページ版では設計と実装について述べ、基本的な性能を示す。2ページでは評価のために多くの図表を用いることは困難である。また、設計や実装に関しても十分な記述はできない。
4ページ版では、2ページ版とほぼ同じデータを用いるが、詳細に記述する。
6ページ版では異なる条件下で詳細な性能評価を行う。4ページ版までは点としての評価だが、6ページ版では線としての評価になり、傾向がわかる。
9ページ版では性能以外の評価を加える。線の評価が面になる。
この方式では最短4週間で4本の論文が生産できる。これにアイデアを創造するプロセスが加わる。
基本的にアイデアは常に考えているので、アイデアが枯渇することはない。次にすべきことは把握している。
アイデアを実現するための計画に1週間を費やす。最初に詳細な検討をすることで、無駄な時間を大幅に減らすことができる。
次に設計を行う。これに1週間を費やす。
次に実装を行う。これには1週間以上かかる。以前のテーマと大きく異なるほど時間もかかる。よって、実装から逆算して、1週間で実装できるテーマを選択する。最終的な目標までを多くのプロセスに分解し、それぞれで成果を示す。通常は研究するほど新たな課題が見つかるため、初期の目標は高すぎない方がよい。
最後に評価を行う。これには1週間を費やす。この段階で2ページ版を執筆するのに十分な材料が手に入る。
この方法には問題点もある。論文の新規性は低く評価される。公平に見てもぎりぎりだ。質を量でカバーする戦略なのでやむを得ない。
また、執筆に費やす時間が長くなるので、相対的に実装に費やす時間が短くなる。そのため成果物としてのソフトの質は低い。しかし、論文にとって必要なのはソフトよりデータである。データの信頼性を確保するレベルであれば、手を抜けるところは手を抜いて構わない。これが製品開発と異なる点だ。しかし、製品開発でも不必要な創造性はかえって邪魔になる。いわゆるエンジニア症候群だ。抜くべきところを抜き、次の手を進めるということだ。よって、ソフトの質は大きな問題ではない。それより論文を書くことで、じぶんがすべきことが見えてくる。それは耐えず新たな目標を持つことにつながり、持続力を養う。プログラムばかり書いている理系エンジニアより顧客に接する文系セールスマンの方が評価される所以でもある。
最後に費用の問題がある。発表しない論文は存在しないに等しい。よって書いた論文は発表する必要がある。しかし、発表は無料ではできない。そのため経由が必要となる。2ページ版は全国大会などで発表できる。この費用は安いのでほぼ無視できる。次に6ページ版は研究会で発表できるが、これも安い。しかし、4ページ版には適当な発表場所がない。そこで紀要などに用いる。紀要も経費は安いが、正式な業績としての評価は低い。9ページ版は論文誌に投稿する。しかし、新規性があまりに低いと採択の可能性もない。また、掲載料や別刷代がかなり高い。論文誌でなく国際会議へ投稿した場合には、さらに出張費がかかる。最後には予算がボトルネックになる。

スパコン戦略

総括の結果、スパコン凍結はやむを得ないと思う。しかし、スパコンなしに科学技術の国際競争に勝つのも難しい。スパコンが不要なのではない。今のプロジェクトがダメなのだ。
それでは、どうすべきか?
まず、科学技術を先導する大学では小規模ながらスカラ型スパコンを導入している。これを十分に活用してベクトル型で開発したソフトをスカラ型に移植しなければならない。つぎにベストのコストパフォーマンスを持つスパコンを選択し、そのスケールを一気に増やす。大まかに言えば、そのような戦略しかないと思う。
しかし、言うほど簡単ではない。一気に増やすといっても予算と時間がかかる。そのため、同じ種類のCPUでは構成が難しい。少しでも改良したものを使った方がよいだろう。よって、へテロなシステムになる。これはソフト開発をいっそう難しくする。いってみれば進化するスパコンを目指してはどうだろう。常に最新型に新陳代謝する。
また、データセンター同様に消費電力が課題になる。グリーン電力との一体運用が重要だ。
また、利用法も今以上に公平かつ透明にならなければならない。科学だけでなくビジネスにも門戸を開くべきだろう。データセンターとしても利用できるスパコンが望ましい。

エコポイント

企業の決算を見れば経済政策としてのエコポイントは成功だったといえる。
やはりエコポイントのエコはエコノミーの意味だったのだろう。しかし、景気対策は一旦終わりと判断した経済産業省とマイナス25%を達成しなければならない環境省とでは対応が異なるのも当然だろう。
しかし、エコロジーとしてエコポイントを継続的に推進するには同じ基準は不適切だ。難でも認めるのではなくトップランナーのみを認めるべきだろう。特に消費電力の大きな大型TVのポイントが一様に高いのは決してエコロジーではない。
その意味では一旦終了させ、再出発すべきだろう。

スパコン凍結

地球シミュレータの成功で日本のスパコンが脚光を浴びたが、今では見る影もない。予算も凍結されそうだ。凍結されれば、いよいよ終わることになる。
今のプロジェクトはNECや日立が抜け、富士通1社によるプロジェクトになっている。科学的には重要だが、ビジネス的には意味がない。凍結されるのも当然だろう。
日本のスパコン技術は衰えたのか、それとも他国の進歩が早かったのか、おそらく後者だろうが、もしかしたら両方かもしれない。
まず、技術が衰えたというより、もともと大したことはなかったのかも知れない。たまたま流体力学に特化することで、ベクトル型が成功した。これが地球シミュレータだが、これは特異点だったのかもしれない。スパコンにおけるガラパゴスだったのかもしれない。
ステアリングにも大きな問題があった。世界的なトレンドを無視してベクトル型に固執した。その結果、最終的な目標を達成しても世界のトップには大きく差を付けられたままになる。よって、プロジェクトを継続する意味はない。科学の進歩は既にスカラ型で進行中だ。
成功が失敗に転じた興味深い例だろう。過去の栄光がイノベーションにとってマイナスになることの見本ともいえる。

2009年11月16日月曜日

類似文書の検索

イメージ検索では似たイメージを検索できるものも少なくない。しかし、文書検索では以外と類似文書を検索できるものは少ない。やはり決定版としてはGoogleで類似検索ができるようになって欲しい。
類似文書の検索は著作権の検査に利用できる。身近なところではコピーレポートのチェック、2次引用のチェック、論文のオリジナリティのチェックなど応用は広い。
しかし、類似検索を単純に行おうとするとN文書に対してO(N^2)の比較が必要になる。これはきわめて難しい。少なくともそのままの力業では採用できない。そこで、アルゴリズムの詳細は省略するが(まだ考え中)、類似度を表す数値に変換し、その数値の距離で判断することが望ましい。場合によっては複数の数値、すなわちベクトルになるかもしれないが、単純な語ベクトルは使えない。また、1つの数値に変換する際、類似度を反映した距離を表現できるかが問題となる。
この数値はハッシュのようなもので、必ずしもその数値だけで判断する必要はない。その場合は多くの検索もれが生じる可能性もある。

分散処理と心理学

心理学は何にでも応用は可能だ。よって心理学は分散処理にも応用できる。
最近、特に分散処理の心理的な側面が気になってきた。
以前にも指摘したかもしれないが、グリッドからクラウドの移行には心理的な側面が大きく関与している。簡単に言えば、心理的な理由でグリッドが失敗し、その反省からクラウドが生まれたとも考えられると言うことだ。それがすべての理由ではないが、同じ失敗をしないようにうまく回避している。
グリッドが失敗した心理的な理由とは、誰も自分のものを他人に只で貸そうとはしないということだ。これは必ずしも経済的な問題ではない。というのは有料でも貸そうとはしないからだ。実際、有料のグリッドがある。しかし、これは使う方もためらうし、貸す方も有料だからと言って積極的に貸すわけではない。というのは2つの問題があるからだ。
1つは有料と言ってもそれほど金額が大きいわけではないので、電気代をまかなうことはできない。だから、貸せば貸すほど儲かるわけでもない。そもそもそれほど儲かるなら企業が自分で行うだろう。有料ではあるが、基本的にはボランティアに近い。無料よりに積極的に参加する気にさせるという程度のものだ。
もう1つは他人に使われる不安だ。例えば、自分が使いたいときに使えないかもしれないというリスクや、ウイルスに感染するのではないかというリスクなど、漠然とした迷信がある。実際には、これらは心配する必要がない。しかし、積極的に貸そうという気持ちを起こさせる要因ではない。
元々日本にはボランティア文化はない。学校のボランティアも単位取得のために行うくらいだ。ボランティアに頼るしくみ自体が誤りと言える。
グリッドを成功させるには、明確なGIVE & TAKEが必要だ。あまりよい見本ではないが、P2Pは成功している。P2Pとグリッドにはいくつかの違いがある。もちろん基本的な技術自体が違うが、それだけではない。まず、P2Pではファイル共有などのアプリケーションがあり、著作権の問題はさておき、積極的に利用したいと思う人が多い。P2Pでは、利用者は他者にも利用させなくてはならない。ここに自然とgive & takeの対等の関係が成立する。もう1つは利用する資源がストレージであることだ。これはファイル共有など特定のアプリケーションの場合に限定される話だ。しかし、CPUを使われるのとストレージを使われるのでは、心理的に違いがある。まず、ストレージはかなり余っているのでけちなことを言う必要がない。しかし、CPUは常に限界近くまで使われることが多く、クレームも多くなる。
要は、所有者に気持ちよく資源を提供してもらうための方策が不十分であったと言うことだ。
グリッドの問題は複数組織にまたがることだった。それがグリッドの特徴の一つである仮想組織を成立させていたが、それ自体がグリッドの長所であると同時に短所でもあった。クラウドは単一組織で運営されるため、そのような問題がない。しかし、プライベートクラウドでは遅かれ早かれグリッドと同じ道をたどるだろう。なぜなら、単一組織で十分な資源を集めることは難しいからだ。そのときクラウドが再びグリッドの失敗を繰り返さないようにする必要がある。

2009年11月13日金曜日

グリッド暖房と自然エネルギー

小さな矛盾について考えている。
職場では、パソコンをたくさん使うので、その熱だけである程度暖房代わりになる。これを称してグリッド暖房と呼んでいる。
グリッドには、ある意味で矛盾がある。資源を有効活用するために生まれたグリッドだが、活用するほど無駄が生まれる。有効活用できるのは遊休資源であり、これを使えば電力を消費する。遊休のままであれば無駄な電力は消費しない。グリッドの計算が資源の所有者にとって必要であれば無駄ではないが、多くのグリッドでは必ずしも資源の所有者のために利用しているわけではない。よってボランティア的な利用のために電力を無駄にすることになる。これが地球温暖化問題における省エネの目的と真っ向から反する。また、組織内での計算であってもグリッドで行うより限定された資源を100%活用する方が電力効率がよい。そのため、環境問題が注目される中、グリッドは過去の技術となりつつある。
しかし、冬場は暖房代わりに遠慮なくグリッドを行うことができる。グリッドの無駄なエネルギー消費も暖房として有意義に利用できる。代わりに空調のエネルギー消費を削減できる。そのため冬こそグリッドの季節だ。
しかし、ここで自然エネルギーが登場すると、少し話が変わってくる。全体のベクトルは変わらないが、微調整が必要になる。自然エネルギーでグリッドを稼働させる場合、グリッド自体が屋外に出ることがある。これは問題だ。なぜなら熱源が部屋の外に移動してしまうため、改めて暖房を行う必要が出てくるからだ。
そこで、冬場はグリッドを室内に配置し、自然エネルギーを外から取り込む。こうすることで一種のヒートポンプのようになる。
しかし、冬場はよくても夏場は困る。夏場は室内の熱を外に逃がす必要がある。しかし、グリッドは内から外へのヒートポンプにはならない。室内にどんどん熱がたまる。よって、冷房のエネルギー消費が増える。
これを避けるには、夏場はグリッドを室外に移動させる必要がある。しかし、かなり大きな設備になるため、気温に応じて気軽に移動することは困難である。
結局、冷房のためにさらに自然エネルギーを利用することしかうまい解決法はない。

2009年11月12日木曜日

NASよりiSCSI

TeraStationでの比較だが、NASよりiSCSIの方が断然早い。
これは、NASコントローラのCPUが遅いせいだと思われる。I/F自体も改善されているかもしれないが、CPUの違いが大きいだろう。
NASでは、NAS自体に非力なCPUが組み込まれ、これで読み書きを行っている。それに対してiSCSIでは、外部にサーバを必要とするが、強力なCPUを利用できる。そのため、読み書きの速度が格段に違う。
今までNASでは大きなデータを扱うにも時間がかかりすぎるとあきらめていたが、iSCSIに変えるだけでネットワークドライブの可能性が広がる。

土地とライフサイクル

土地に愛着のある人とそうでない人がいる。一概には議論できないことを承知の上でアイデアだけ述べる。
元々日本人は農耕民族だと言われているが、現代の日本人が農耕民族と言えるかどうかはなはだ疑問だ。もし土地に愛着があるなら、やむを得ない事情を除いて東京に出稼ぎに来る人は少ないだろう。しかし、むしろ夢や希望を求めて都会に出てくることが多いのではないかと思う。
多くの人が土地を望めば、その土地の価値は上がる。自由主義経済では当然のことだろう。したがって、都会の土地は高くなる。それでも職場に近く住めれば生活が便利になるので、都会の土地を求める人はいっこうに減らない。
しかし、最近では少子高齢化の影響が確実に出始めている。都会の土地を欲しいと思う人が減っている。働き手が少なくなっていること、既に近郊に土地を持っていること、マンションなど高層化により土地が有効利用できるようになってきたことなど多くの状況が重なっている。
もしも老後も同じ場所で住みたいという希望がなければ、退職後は若い働き手に土地を譲り、郊外に安心して住める家を買い換えることができるだろう。土地の差額だけで家を建てることは十分可能だろう。
ただし、これには2つの問題点がある。1つは年齢を重ねるほど環境の変化に寛容でなくなること、つまり新たな土地で人間関係を築くのは困難と感じることだ。もう1つは若い人には高い土地を買うだけの資産がないことだ。この2つを側面から支援する政策をとることで土地の有効活用が進むと思う。

2009年11月10日火曜日

年賀状のマッシュアップ

子供が生まれてから年賀状に関心を払うようになってきた。昔の年賀状と比べると今の年賀状にかける手間ひまは比較にならないほど増えた。
年賀状では個別のサービスが協調していない。そのため多くの機会を損失している。例えば、写真やキャラクタを用いて凝った裏面を印刷するサービスがサービスがあるかと思えば、宛名を印刷してくれるサービスもある。しかし、その両方を満たすサービスはほとんどない。もし両方が満たされれば、無駄な葉書の郵送がなくなり、地球環境にも優しくなる。
そこで両方のサービスをマッシュアップで結合できればよいと考えた。ただし、既存サイトはサービスとしてAPIを提供していないので、かなり力技になる。それはあまり好ましくないので郵便局が音頭をとって総合サイトを作ってはどうかと思う。なんといっても、最後は郵便局の仕事なのだ。他人まかせでよいはずがない。

モバイルワーク

移動しながら仕事をすること、すなわちオフィス外でも仕事をすることである。
仕事をする以上、効率よくする必要がある。移動中は携帯電話、そうでなければPCを使う。私自身は携帯電話では仕事ができない。メールチェックとある程度の文章入力が限界だ。メールの返信さえPCでないときちんとできない。携帯でメールしてくる人のメールはビジネスとして使えるようなものではない。本人は使えるつもりでも、文脈がまるでわからない。携帯メールはスレッドが不十分なことと記述量が少ないことが原因だ。結局、何度も問い直さなければならないため、かえって時間がかかる。一方的に阿吽の呼吸を求められても困る。ビジネスマンなら自覚して欲しい。
閑話休題。
そろそろモバイルワークの環境が整ってきたので、ここで有望な機器を紹介する。
まず、PCはVAIO Xだ。X+Sの組み合わせなら軽さと時間の両方が満たせる。個人的には、出張時はDVDとVGAも欠かせない。
モバイルにはpocket wifiを使いたい。実機を見ていないので、よくわからないが、予備のバッテリも必要だろう。eneloopで動いてくれれば申し分ない。
移動中の入力はスマートフォンだ。Windows Mobile, iPhone/iPod, Androidのいずれでもよい。私自身はiPhoneを使っているが、不便なこともある。pocket wifiが使えるならiPodでもよい。別途携帯を持ちたくないときだけiPhoneにすればよい。
最後にスキャナも加えたい。その場でスキャンできるかどうかで仕事の能率が大きく変わると考えるからだ。無駄な資料を持ち運んで情報漏洩を心配する必要もない。候補の一つはCanon imageFomulaだ。
もし紙の契約書が必要になるなら小型プリンタも加えるとよい。
これらをすべて合わせても十分カバンに入り、しかも持ち運べる重さである。よい時代になった。

臨床情報学

といっても病院の情報システムの話しではない。臨床は例えだ。SEのスキルを磨くには多くの事例を手がけた方がよい。医学部が病院で医学を実践するのと同様に、情報システムの開発を実践する場が必要だ。それを臨床情報学と呼んで見た。
学問とはいえないかもしれないので、いささか大げさな呼称ではある。
しかし、これは簡単な話ではない。そもそも大学に十分なシステム開発の能力があれば、最初から学内のシステムを自前で構築していただろう。かつてはどこでもそうだった。しかし、システムが複雑化した結果、困難となった。病院で研修すれば、すぐにできるようになるというレベルのものではない。何年も経験した人にとっても複雑なことが素人にできるとは思えない。
実際、大学の開発力はそれほどたいしたものではない。一部には優れた人もいるが少数派だ。大多数は目標を定めるか設計を行うだけで実装は別人に依頼する。よって予算が取れなければ成果も出せない。しかし、この状態を改善するための方策が臨床情報学だが、にわとりと卵の関係に似ている。もっとも、これには答えがあり、明らかにスキルアップが先なのだ。
もう一つ問題点をあげると、研究と開発は違うということだ。極論をいえば、開発の目的はプログラム自身であるが、研究の目的はそれが生み出すデータである。両者にはセキュリティやバグに対する大きな違いがある。

2009年11月2日月曜日

Linuxの開発期間とシステムの運用期間のずれ

OSSのよいところは対応が早いことだ。実際、Linuxのディストリビューションの中には半年ごとにバージョンアップすることもある。しかし、このようなアジャイル的開発は実際の運用と微妙にずれている気もする。
システムはいったん導入すれば滅多に変えることはない。予算的に変えられない。少々の手直しはあっても大々的に変更することはできない。そして、システムの運用期間はその開発コストが回収されるまで続く。一般的には4〜5年と言ったところだろう。これはLinuxのリリース間隔に比べてあまりにも長すぎる。
どちらがよいかどうかの話ではなく、ミスマッチが起きているということだ。
例えば、開発したシステムのOSにOSSのLinuxを採用し、それが運用中にバージョンアップされた場合、システムのOSを入れ替えるかどうかの判断にせまられる。しかし、安定して動作しているものをわざわざ変えたい運用者はいない。しかし、セキュリティパッチなどは最新版が基本となり、あまりに対応が遅れるとセキュリティリスクが大きくなる。
理想的には、どのようなリリースに対しても長期間サポートしてくれることだが、OSSのコミュニティでは最新版開発に全力を挙げ、それ以外のサポートに回す余力はないだろう。Ubuntuの長期サポートのように、節目となるリリースがあれば、それでもよい。しかし、システム運用期間を5年とみると、ちょうどサポートの終わり頃に開発されたシステムは、少なくとも10年はサポートを続けないと途中でサポートが打ち切られることになる。
リリースは短くてもよいが、サポートは長くなければならない。やがてサポートのコストの方が高くなる。これからは、どのようにリリースするかだけではなく、どのようにサポートしていくかも考える必要があるだろう。

SD Floppy

SDメモリは広く普及した。2GBなら千円くらいで手に入る。
いまSDメモリは価格維持のために大容量化を目指している。しかし、それが人々の希望する方向だとは限らない。
かつてフロッピーディスクというものが使われていた。1.44MBというSDメモリの1/1000の容量しかない。しかし、今日のSDメモリは、かつてのフロッピーの役割をすべて果たしているわけではない。
例えば、フロッピーは100円で買えた。この程度なら惜しくもなく他人に渡すことができる。例えば、郵送でデータを渡すときなどフロッピーを使うのが一般的だった。MDは高く、CDは大きい。同様にSDは只であげるには高すぎる。そうなると返送手段も考慮しておかなければならない。この程度を面倒と考えるかどうかは人によって違うが、100人くらいからデータをもらう立場だと面倒で仕方ない。
そこで、SDのもう一つの進化形が考えられる。小容量かつ安価な使い捨てメディアになることだ。使い捨てというのは一方通行と言うことで、もちろん再利用はいくらでもできる。
このようなメディアにするには徹底的に標準化して、枯れた設備を活用することだ。容量的には、FAT32の最大ファイルサイズ限界の4GBあたりが妥当だろうと考えている。そのためには、もう少し製造技術が枯れてくるのを待つ方がよいかもしれない。

2009年11月1日日曜日

中華ソバと日式ラーメン

日本の中華料理屋は流行らない。完全にニーズとずれている。いつまでも昔のやり方では通用しない。
ラーメンは昔中華ソバと呼ばれていた。ラーメンよりソバの方が庶民にとって身近だったためだろう。昔はラーメンを食べに中華料理屋に行くことが普通だった。
しかし、ラーメン専門店が登場し、切磋琢磨したことで、ラーメンは昔では考えられないほど進歩した。ある意味ガラパゴス的進化ではある。しかし、このガラパゴスは世界に通用する点で携帯とは異なる。中国でも日式ラーメンで知られている。食べ比べれば違いがわかる。
日本のラーメンはトッピングより麺とスープにごだわりがある。中国のラーメンは、白いご飯さながらにくせがない。だから具で勝負する。どっちがよいとは一概にいえないが、麺の食べごたえがないと感じられるだろう。具のせチャーハンの方が満足できるのは当然だ。
思うに中国の食事は未だ質より量なのだと思う。多くの人口を養うには当然の方針だし、中国が飽食の時代となったら地球の食糧供給が間に合うのかという疑問もある。一方、いち早く飽食の時代を迎えた日本では量より質で勝負するしかない。それが別の種類の進化をもたらしたということだろう。
中華料理屋のラーメンは専門店のラーメンの足元にも及ばない。中華料理屋にラーメンを食べに行く人は少ないだろう。生き残るには何でも注文できる手軽さが利点になるだろう。
しかし、バーミアンのような中華ファミレスが登場し、それもまた困難となってきている。いまならまだバーミアンが中国に進出して勝つこともできるかも知れない。しかし、すぐに真似されて終わるかも知れない。コピーされても次々先手を打つことができなければ中国では勝てないだろう。ある意味ではもっとも素朴な自由主義の状態ともいえる。