2010年12月27日月曜日

あると便利な自炊ツール

自炊の作業で、もしもこのようなツールがあれば便利だろうというアイデアをいくつか書いておく。
(1) 漂白ツール
昔の本は紙が黄ばんでいることが多い。黄色い紙のままでは読みにくい。これをデジタル的に漂白してくれるツールがあるとよい。
もちろんページ単位ではだめだ。全ページを一気に漂白できるくらいでないと使いにくい。
その際問題になるのは、カラーページを判別して、除外する機能だ。
また、カラーページも変色している場合には、全体の平均値や前後のページの平均値で色を補正する必要があるだろう。
(2) ページ番号チェック
ページ内に印刷されたページ番号を判別し、OCRを行い、現在の枚数と比較して、その直前のスキャン数と合致しているかどうか調べる。
文庫本のように、規則正しくページ番号が印刷されていれば問題は少ない。
しかし、マンガ本のように、ほとんどページ番号が絵柄に隠れてしまう場合には注意が必要だ。
(3) 書籍情報収集ツール
カバーのバーコード部分からISBNを求め、それを元に書籍情報を収集する。さらに、その情報を元にファイルを整理および検索する。
書籍が多数に増えてくるとほしくなる。
また、このバリエーションとして不正なコピーの検出などの応用も考えられる。その場合は、バーコードからでなくOCRと組み合わせて、その内容から検出する手法が有効だろう。
(4) OCRツール
文書内の情報を検索できるように各ページをOCRにかけて、そのテキストを各ページのテキストとする。
検索はそのテキストに対して行う。
(5) デバイス最適化ツール
iPad, iPhone, Kindleなど各デバイスに向けてPDFを最適化する。

スキャンページ数チェックのコツ

スキャンしたページが正しいかをチェックするのに手軽な方法がページ数を数えることだ。
多くの文庫は表紙を含めてページ数より2ページ多くなる。私の場合はカバーを含めるので4ページ多くなる。
白紙を無視せずスキャンすると最後のページ数でチェックできる。
スキャンするときには100ページ単位でスキャンし、その都度+4ページとなっているかどうかチェックする。
最後のページ数が印刷されたページまで数値があっていれば、まず正しく読み取れたと考えてよい。
こうすれば、後でPDFをチェックしなくても、ほぼ確実に正しくスキャンできているといえる。

2010年12月24日金曜日

小さくない電子ブックリーダ

さまざまな電子ブックリーダが発売されているが、いずれも携帯性を重視している。
これは、ある意味、当然であるが、しかし、必ずしも電子ブックリーダは小さくなければならないわけではない。
今の市場を見れば、early adopterは中年だろうが、活字の本を読まない若年層もマンガ本なら読むだろうし、もちろん老年も読む。若年層と中年層は携帯性が必然かもしれないが、老年層は自宅に入れことが多いので、必ずしも携帯する必要がない。むしろ、家庭内にある機器で電子ブックを読めた方が便利かもしれない。
今の電子ブックリーダは1ページ単位が標準である。しかし、マンガ本などは見開き2ページで1枚の絵を構成していることもある。携帯電子ブックリーダに2画面持たせるより、1枚の大画面リーダが必要とされるだろう。
さらに、家庭内で大画面の情報機器といえば大画面TVだ。こたつに入りながら大画面TVで読書するというのも悪くない。このような大型電子ブックリーダは日本の得意分野ではないだろうか?
しかし、本家のTVが斜陽なので、それどころではないかもしれない。しかし、だからこそ、このような新分野の開拓が必要だ。早くしないとSamsungが出してしまうかもしれない。

2010年12月21日火曜日

DR-2510C

自炊のスキャナをDR-2510Cに変えてみた。あいかわらずScanSnapは避けている。
DR-150に比べて格段に作業が楽になった。やはり価格の差はある。
スキャンスピードが速くなったのはもちろんだが、手間がかからなくなった。
他の人はどうしているかわからないが、私はカバーもいっしょにスキャンする。カバーをなくすのはおしいからだ。スキャンできずにカバーをあきらめたときは残念でならない。
カバーをA4スキャナでスキャンするにはA4サイズに折りたたむ必要がある。私はカバーを折ったまま見開きのようにしてスキャンする。この方法はスキャナによって適不適がある。
DR-150のときにはクリアシートに入れてスキャンした。いちいちクリアシートに入れる手間と、クリアシートの中でカバーがずれるのを調整する手間など、気を使うことが多かった。
DR-2510Cには非分離給紙モードがあり、折りたたんだカバーもそのままスキャンしてくれる。DR-150には、このモードがない。
おかげでだいぶ手間が省けるようになった。
まだ不満な点は、読み取って後に保存しなければならないことだ。ScanSnapは読み取りと同時に保存もしてくれる。スキャン終了後はPDFファイルもできている。しかし、CaptureOnTouch(DR-*のスキャンマネージャー)はスキャン後に保存しなければならないので、余分な時間がかかる。
ちなみにScanSnap S510(S1500ではない)では、クリアシートも、非分離給紙もできない(たぶん)。しかし、S1500は長尺読み取りができるようだ。カバーを伸ばしてスキャンすればよいだろう。

ステーキバーガー

ロッテリアのステーキバーガーを食べた。
ステーキはハンバーグより格上と考えられているので、明らかな高級路線だ。
実際、味は非常に良い。下手なファミレスのステーキよりうまい。
というのもファミレスのステーキはナイフで切るのもやっとだが、ステーキバーガーのステーキはナイフなしに歯で噛み切れるからだ。
パンもソースも文句がない。
しかし、唯一の問題点は食べにくさだ。
噛み切れるとはいったが、ハンバーグと比べればその差は大きい。やはり食べているうちにステーキがずれてくる。最後には、ステーキを食べつくした後にパンだけ残る。どうもバランスがよくない。
たとえば、切れ目を入れるなどして噛み切りやすくしてはどうだろう。また、サイコロステーキとラップの組み合わせの方が断然食べやすい。
味は良いが今一つの製品だったように思える。

2010年12月15日水曜日

Chrome OSと情報教育

学校のPCがシンクライアントに移行しつつある。管理を簡素化するためだ。
この延長線上には、究極のシンクライアントとしてChrome OSも想定される。
大半のアプリケーションがGoogle Apps for EducationなどのようなSaaSになれば、現実的な選択肢となるかもしれない。
しかし、そのための道のりはまだまだ遠いだろう。
今後注目していきたい。

読書

一冊の本、たとえば200ページがあるとする。この本をどれだけの時間で読むことができるだろうか?1日、1週間、1年?
たいていの人は1週間ぐらいだろう。しかし、早い人は1日で読める。読む気のない人は1年かかるかもしれない。
読書は知識の源泉だ。知能のバロメータだ。1日と1年では100倍以上の開きがある。およそ人間の活動で、これほど大きな差があるものはない。100メートルを10秒で走る人はほとんどいないが100秒でならだれでも走れる。健常者ならば。したがって、1年で一冊しか本を読まない人は一種の障害者であるといえる。
あえて厳しい言い方をしたが、逆説的に受け取ってほしい。つまり、障害者でないなら、1年に一冊しか本を読まないなどということではいけない。
読書の苦手な人は、本を表層的にしか読まないようだ。幼い子供が本を読むとき字を追うだけで精一杯な様子を見かける。そのような子も声を出すと頭に入りやすい。眼だけの読書ではなく頭全体あるいは体全体を使うからだろう。それだけ頭に吸収されやすいということだ。しかし、このような幼児レベルの読書をしている人が少なからずいる。
読書のコツは人によって異なるかもしれないので、必ずしも一般論とはならないかもしれないが、自分の読書術を紹介しよう。私の場合、読書をしていると頭の中にイメージが膨らむ。あたかも目から文字が入り、頭の中に小説の世界が生まれるようだ。その世界は、字を追うごとに進行し、時に勝手に動き出す。その動きをさらに字を追うことであらすじからはみでることを補正する。あたかもカーナビがGPSを地図で補正するようだ。
このような頭の中にモデル世界が構成されると、自然とストーリーがわかる。世界が分かればその抹消の出来事もわかる。想像しながらの読書は楽しい。同じ読書でも字を追うだけでは機械的な作業に過ぎないので楽しめない。両者の違いは大きい。この差が読書のスピードに反映される。
小説だけでなく論文も同じだ。むしろ論文の方が理路整然としていて話の流れが把握しやすい。ただし、論文の書き手はプロの作家ではないので、筋道の立て方が下手な場合もある。そのような場合はやはりわかりにくい。

2010年12月14日火曜日

スケールの変遷

クラウドはスケールアップではなく、スケールアウトが用いられる。スケールアップはサーバ1台あたりの性能を向上させること、スケールアウトはサーバの数を増やすことである。今はもっぱらスケールアウトが注目されているが、スケールアップが駄目だというわけではない。そこで、スケールアップが有効であること、また時にスケールダウン(ダウンサイジング?)も重要だということを述べておきたい。
すべての成長はどこかで限界に達する。システムの規模は飽和する。飽和するまではスケールアウトが有効だ。しかし、飽和したらスケールアウトは使えない。たとえば、地球の表面すべてをデータセンターにすることはできない。現実的でない。
そこからさらに成長するにはスケールアップするしかない。生物に似てシステムも新陳代謝を行う。壊れた部品は破棄され、劣化したサーバも新品に交換される。新しいサーバは当然古いサーバより性能がアップしている。すなわちスケールアップとなる。
スケールアップされたシステムは少ない台数でも以前と同じ性能を持つ。よって、台数を減らすことができる。全体の性能を下げることなくスケールを小さくすることができる。これはスケールアウトの逆だ。しかし、台数を減らしてもまだ成長段階である。
その成長も、やがて電力消費がボトルネックとなり、止まる。電力は共有資産であるから一企業がすべてを占有することはできない。もちろん自前の発電所は別だ。成長の余地がなくなれば、その余地を自ら作るしかない。すなわち性能を向上させるより電力消費を下げる。性能は同程度でも省エネのサーバに切り替える。そして再びスケールアウトし、スケールアップで空いた余地を埋めていく。
やがて再び新たな原因により成長が停止する。そしてその原因に対処した新たなサーバでスケールアップする。また、スケールアップで空いた余地をスケールアウトで埋めていく。この連鎖を続く限り繰り返す。
成長を最後に止める原因は「不必要となること」だろう。市場のニーズが飽和し、新たなサーバを必要としなくなった時、おのずと成長は止まる。

2010年12月8日水曜日

使えないHDDビデオ

我が家の値段の割に使えない家電の1位はHDDビデオレコーダだった。
製品は東芝VARDIA RD-X9だ。
決して人気のない商品ではないので、使い方によっては役立つのだろう。しかし、相当問題の多い商品でもある。
まず、ユーザインターフェースが貧弱だ。単純すぎるのではなく、複雑すぎるのだ。インターフェースに一貫したコンセプトが感じられないので、何かしようと思った時、どこから始めればよいのかわからない。この点はiPhoneのインターフェースと比較にならない。
そして肝心な機能に欠陥がある。R9は2TBものの容量があり、相当長時間記録できると期待していた。しかし、実際にはHDDの50%くらいしか使えない。これにはわけがある。
R9では容量だけでなくタイトル数にも制約があるのだ。約800タイトルしか記録できない。我が家では子供番組ばかり記録するので時間が短く、タイトル数が多くなる。結果、容量が余っても録画できなくなってしまう。そもそも800タイトルに限定しなければならない理由はなんだろう。単なるソフトウェア設計のミスではないだろうか?
やむを得ず800タイトルを超えないように録画を削除することにしたが、削除方法が面倒だ。まず、ゴミ箱へ移動する。しかし、PC初心者にはフォルダの概念が理解できないので、ゴミ箱に移動したままにされてしまう。当然、タイトル数は減らないので、録画ミスが起きる。ゴミ箱の内容を消去するために、同じような消去手段を繰り返す必要がある。ゴミ箱自体は消し間違いのために有効だが、ゴミ箱から必要に応じで消去してくれるとありがたい。
このようなHDDレコーダは、もう使いたくない。ARecX6のような楽なレコーダに乗り換えようかと考えている。まだ乗り換えをためらっているのは、PCなしに利用できるかどうかがはっきりしないからだ。PCなしといってもiPad/iPhoneを使うというのでは困る。ARecX6を便利に使おうとすると、iPodをリモコン代わりに常備する必要があるように思えるのだ。
世の中にましなHDDレコーダはないものだろうか?

McDonaldでSセット

マックのセットはMサイズが基本だが、Lへのアップグレードも可能だ。しかし、Sへのダウングレードも欲しい。
最近、ハンバーガーのボリュームが増えている。Mと組み合わせると多すぎて残してしまう。もったいないので、単品を組み合わせるが、どうせならセットの方がよい。

学問のすすめ(現代語訳)

このブログでも学問のすすめを推奨した。ここで現代語訳が出版されたのを受けて、もう一度推奨しておきたい。
学問のすすめは今日に通じる名調子だ。源氏物語のような文学作本でない、いうなれば実用本が時代を超えて通用することは極めて稀だ。今日出版されているビジネス本の大半は10年後に忘れ去られているだろう。1000年保つかどうかは定かでないが、少なく
とも100年保った意味は大きい。
学問のすすめを現代語訳で復活させる仕事は本来慶應義塾塾生の仕事だろう。その意味で遅れをとったことは否めない。
義塾唯一の先生に遠慮したのだとすれば、肝心の学問の精神が緩んでいると言える。あるいはわざわざ現代語に訳す必要がないと考えたのかもしれない。そうだとすれば、世間から乖離している。
実際は塾生でも原著を読んだ人は多くないと思う。私自身、青空文庫の無料版がなければ、わざわざ読もうとは思わなかった。啓蒙書は役立つが、それほど面白い訳ではない。お金を払って読む価値があるかどうかは人それぞれだろう。
現代語訳が出ても、それで啓蒙が終わる訳ではない。お金の壁を超えなければならない。つまり一層の啓蒙を目指すなら無料の電子版を出すべきだ。その時には義塾が前面に立って貢献して欲しいものだ。

2010年12月6日月曜日

競争を学ぶ

おおよそ人生において競争は不可欠である。生きがいであるとも言える。
そして、真の競争は自分自身との競争である。明日の自分が昨日の自分に勝つために、今日、競争するのだ。
しかし、競争を悪、あるいは必要悪と見なす風潮がある。弱者救済の名目で競争を否定し、共存を主張する。
そもそも競争と共存は二律背反ではなく、それこそ共存しなければならない概念だ。競争なき共存は悪平等を生む。結果として進歩が止まる。共存なき競争は弱肉強食であり著しい不公平を生む。これもまた自滅へ至る。誰も自分の体を食べて生きてはいけない。
共存は競争の足かせとなるべきで、常に共存を目指す必要はない。
競争する上で、自分と他人とどちらと競争するのが容易かといえば他人だ。自分との競争はモチベーションの維持が難しい。自分との競争を学ぶには、他人と競争してみることだ。他人と競争できないものは自分とも競争できない。よって、自分と競争する術を学ぶために他人との競争を経験した方がよい。