2012年6月28日木曜日

長期保存なら新潮文庫

昔の文庫本を電子化している。
そのほとんどが茶色く変色しているが、同じ年代に購入した新潮文庫だけ新品のように白い。
カバーさえくっついてしまうくらいの劣悪な環境にも耐えた。
紙で長期保存するなら新潮文庫がよい。
古典の名作が新潮文庫に多いのもうなずける。

2012年6月21日木曜日

Literal Engineering

文学作品を工業製品のように生産する技術をリテラルエンジニアリングと名付けてみた。
文学も広義のメディアであるが、文学にしかない特徴がある。それは詳細な心理描写が可能なことだ。音声メディアの落語では心の声を話す。映像にも回想や想像のシーンがある。しかし、心の声ばかりの落語や映画はテンポも悪く、わかりにくい。心理描写は最も本質的な表現であり、あらゆるメディアに対して文学が有利な点だ。
文学にもさまざまな種類があるが、工学的な意義からは小説や物語を対象にするとよいだろう。物語の作成方法には様々な方式がある。代表的な方法は神話の構造だ。物語が時間的な構造だとすれば空間的な構造は世界観だ。
文を表現対象で分類すれば、心理描写、風景描写、セリフなどに分類できる。
風景描写はあまり独創的である必要はない。ほどほどに文学的な表現が織り交ぜてあれば十分で、過剰な表現はかえってわかりにくい。むしろ表現対象を余すところなく表現することが重要だ。例えば、その風景に存在する必要要素を数え上げておくとよい。風景描写はかなりの部分まで工学的に生成できるだろう。
セリフは、説明なしに発言者が推測できるものがよい。これにはキャラクタの個性を把握し、反映する必要がある。Siriなどの自動応答サービスの応用でセリフの生成も工学的な目途が立っていると思う。
心理描写だけはまだまだ難しい。これは小説家の腕の見せどころだ。
そもそも小説の面白さは普通でないことにある。普通の心理から(誤解などで)普通でない状況にあったり、普通の状況の中に普通でない心理が隠されていたりするところを、作家の表現によりうまく説明してしまう。こうして何らかの非日常が生まれる。身も蓋もない言い方をすればへ理屈だ。へ理屈を自然な理屈に感じさせる腕前を表現力という(?)。

2012年6月2日土曜日

マルチPad

Appleの次の戦略を予想する。
私はマルチPadだと思う。
一人一台までiPhone/iPadが普及しても、それが最終段階ではない。一人に複数台買わせることができる。それがマルチPadだ。
マルチPadは、簡単にいえば、通信可能なヒンジにより連結可能なiPadだ。
例えば、2台のiPadを連結すれば、Mac Book Airのようになる。キーボードは仮想型だが、これは既に大きなハンデにはならないだろう。また、見開きで使えば、理想的な電子ブックリーダーになる。
さらに、多く接続するとタイルディスプレイになる。屋外に設置できればデジタルサイネージュのデバイスとなる。
しかし、Appleなら教育分野に注力するだろう。すなわち、電子黒板だ。
大きなマルチPadは落ち運びができない。だから据え置き用途が主となる。そこで、通信機能やバッテリーを省くことができる。その結果、コストダウンが進み、1台1万円くらいにできるだろう。50インチの画面を10インチの画面で構成するには25個のデバイスが必要になる。デバイス単価が1万円なら50インチを25万円で実現できる。現在の50インチTVは1日のレンタル代でも25万円する。また、55インチタッチパネル電子黒板の購入価格は100万円だ。Appleが提供するはずの利便性を考慮すれば太刀打ちできないだろう。
唯一の欠点は、つなぎ目の不自然さだ。最高のユーザ経験を提供することを使命とするAppleなら、妥協しないだろう。そのような商品が提供されれば、まさに魔法のデバイスになる。
もしこの予想が正しければ、その中間形態として、ふちなしiPadが登場するはずだ。iPadをふちなしにするにはかなりの技術革新とインターフェースの改変が必要になる。カメラやホームボタンの位置は変わる。カメラは液晶と一体化するかもしれない。また、ホームボタンはタッチパネルに吸収されるかもしれない。今後はふちの幅がミリ単位で競われるだろう。