2011年6月28日火曜日

モチはモチ屋に任せろ

コンビニで企画したアイスを食べた。ハーゲンダッツ製なのでまずいはずがないと思ったのだが、まずくはないかもしれないが、あまりうまくなかった。
アイスのことはハーゲンダッツに任せておけばよい。コンビニが余計な企画を立てる必要はない。

餅(モチ)がうまく表示されなかったので、カタカナで書きなおした。

2011年6月27日月曜日

ゴルギアスの末裔

ゴルギアスは、プラトン著「ゴルギアス」に弁論術の大家として登場する。その中で、ソクラテスは弁論術を否定する。ソクラテスにとっては真に正しいものが重要であり、不正を正と主張する弁論術は無用だったのだ。ソクラテスの、あるいはプラトンの思想はその後の西洋を支配し、今日の教育の礎となった。
しかし、弁論術は今日でも生き残っている。政治家、弁護士、交渉人、司会者などには弁論術は欠かせない技能だろう。これらの人々が不正を行っているという意味ではなく、誰かを説得して意見をまとめる立場にあるということだ。そして、近年では、一般サラリーマンにも弁論術を求める動きがある。いや、すでに求められている。
果たして時代を経て、ソクラテスはゴルギアスに敗北したのだろうか?正しさのみで人を説得するのは不可能なのだろうか?

2011年6月26日日曜日

奥入瀬渓流ホテル

十和田湖周辺のホテルとしては最上の一つです。
観光名所はやはり奥入瀬、そして十和田湖でしょう。奥入瀬のトレッキングを本格的に楽しむなら、4~5時間は見込む必要があります。十和田湖まで着いたら休憩を兼ねて、遊覧船で休屋に向かうのもよいでしょう。休屋には食事どころも多いので、遅い昼食をとってから、バスで帰ってくることができます。
ホテルの隣にも土産物屋兼食事処「渓流の駅おいらせ」がありますが、ホテルの内部にも土産物屋があり、7:00~23:00まで営業しています。個人的なお勧めは、ジャムと地ビールです。特に地ビールの種類は豊富です。まず、奥入瀬一帯で広く購入することのできる奥入瀬ビール3種(ピルスナー、ダークラガー、ヴァイツェン)があります。その他、恐山ビールというものも扱っています。こちらは更に種類が多く、とても滞在期間中には飲みきれません。
夕食、朝食は基本的にビュッフェスタイルです。夕食の目玉はシェフがその場で調理してくれるオープングリルと、もうひとつ盛り付けをしてくれる「森のサラダ」です。森のサラダはTVでも紹介されたそうです。そのときよりパワーアップしているとのシェフ談です。朝食ではジャムのテイスティングができるので、お土産を選ぶ際の参考になるでしょう。
浴場は2か所あります。3Fの浴場は展望岩ぶろですが、個人的には2Fの風呂の方がお勧めです。2Fの風呂には、サウナ、露天風呂も併設されています。入浴時間は5:00~24:00です。ホテル外にも「八重九重の湯」という施設があり、いわゆる温泉スパとして楽しめるようです。入浴衣を借りて家族で混浴も楽しめるそうです。1時間間隔で送迎バスが運航しています。
ロビーで無料で無線LANが使えます。

おかしなガリガリくんサワー

福岡の飲み屋にはガリガリくんサワーという商品がある。これはガリガリくんをサワーに入れたもので、ガリガリくんが溶けるのを待つ必要がある。
しかし、最近、ガリガリくんでかき氷を作る商品が売られている。これを使えばガリガリくんサワーが簡単にできる。

2011年6月6日月曜日

国家

プラトンの「国家」はロングセラーといえるだろう。この内容で、しかも引き込ませる文章力は素晴らしい。内容の難しさはあるが、楽しく読める本だ。もっとも普通に読むのは翻訳なので、翻訳者の文章力を賞賛すべきなのかもしれないが、原文が悪いはずはないだろう。しかし、これもやはり昔は読み切れなかっただろうと思う。私は本を読まない方ではないと思っているが、やはり読解力にはある程度人生経験を必要とするのかもしれない。
書中の弁術は見事で、これをもし目の前でなされたら誰も反論できないだろう。もっともこの中のソクラテスはプラトンの創作だろうから、決して目の前でなされることはないだろうが。しかし、弁術に思わず納得してしまうものの、結論は首をかしげたくなる。当時もそうだったかもしれないが、現代に通じるのか通じないのか微妙な内容だ。この本の内容でプラトン(ソクラテスというべきか)に反論する創作をしても面白いのではないかと思う。

2011年6月1日水曜日

プログラムによる数学の理解

最近、ゲーム関係のプログラミングから数学・物理学を理解しようという本が多数出版されている。これはゲームプログラミングにおける必要性から発したものだが、教育方法としても一考に値する。
数式で数学を理解するということが長く行われてきた。初等数学では数式も簡単であり、ツールとして申し分ない。しかし、高等数学に移るにつれ抽象化し、理解が困難となる。ここで挫折すると仕事で必要な理論も身に着くことなく職業に就くことができない。
一方、プログラムは数式より敷居が若干高いが、要は慣れの問題である。事実、数式よりプログラムに慣れるようになると意味が正確に伝わるようになる。数式よりも言語としての素性は確かだ。一方で、プログラムは計算可能な問題しか扱えないと考えられている。これには若干誤解があると思われるが、計算可能な問題を表現はできるが、実行できないだけだ。この点では数式と何ら変わらない。
決定的な差は視覚化であろう。数式は途中経過も数式であり、いずれも抽象的で分かりにくい。しかし、プログラムは途中経過をデータとして視覚化することができる。つまり理解しやすい。この差が後々大きな差になるのではないかと考えている。
以上のことからプログラムから数学を再構築することは有意義だろう。また、プログラムから数学を教育することも有意義だと思う。現代のような情報社会の時代に情報の視点に立った教育方法を考えることは必要だろう。