2008年2月28日木曜日

winPenPack

今までUSBメモリにPortableAppsを入れていたが、winPenPackの方が良いかもしれない。
何といっても対応アプリケーションが多い。
しかし、こんなにあっても使いきれない。
USBメモリを無駄にしてしまうかもしれない。
問題は、このような統合パッケージの場合、個々のアプリケーションのバージョンアップにどのように対応してくれるのかということだ。
アプリケーションごとにバージョンアップ可能なのか、まるごとバージョンアップするのかだいぶ違う。
これはしばらく使ってみないとよくわからない。

2008年2月27日水曜日

ODFとOOXML

ODFはOpenOfficeの文書形式だ。
OOXMLはOffice 2007の文書形式だ。
いずれもXMLをZipしたものだ。
つまり、両者の違いはZip内部のXMLにある。
ODF陣営はOOXMLをODFと統合するように求めている。利用者の立場からは、その意見に賛成できる。
一方で、Microsoftは目的の異なる複数のドキュメント標準規格が存在するほうが望ましいという。確かに目的が異なれば複数あってもよい。
しかし、オフィス文書の目的が異なることがあるのだろうか?誰のための目的なのだろう。

Semantic CAPTCHA

CAPTCHAが次々破られている。CAPTCHA不要論まで登場している。
本当にCAPTCHAは不要なのだろうか?
CAPTCHAは画像を人間しか理解出来ないことを前提にしている。CAPTCHA破りの技術が進歩するとOCR技術も同時に進歩するかもしれない。その意味では全く無駄ではないだろう。
既存のCAPTCHAは英数字の画像をわざと読みにくく表示し、それを人間が答えるように仕向けている。今、画像をいかに読みにくくするかを競っており、機械どころか人間でも読めなくなってきている。この方向での開発は不毛だ。
画像はもっと単純でもよい。質問を高度化すればよい。一番近いイメージはTOEICの試験だ。TOEIC試験では、ある画像を見て、それについて正しい説明を選択から選ぶという問題がある。TOIECのように英語の難易度を図るためではなく、もっと簡単な質問をすればよい。
それが、ここで提案するSemantic CAPTCHAだ。つまり、CAPTCHAの画像処理を高度化するのではなく、CAPTCHAの意味を高度化する。さすがに意味まで理解できるロボットは地球上のどこを探してもいないだろう。

ブラウザ仮想化

仮想化技術が熱い。
最近ではシステムの仮想化からデスクトップ仮想化へシフトしてきている。
その中でWebブラウザは重要な位置を占めているはずだ。にもかかわらずブラウザの仮想化が進展していないように見える。進展していないどころか仮想化とは逆に多様化の方向へ進んでいるようにみえる。
ここでブラウザの仮想化を行う必要があるように思える。
タブは1つの仮想化かもしれないが、すでにその段階は終了した。
次は1つのソフトで複数のブラウザを利用可能とするマルチブラウザ仮想化だろう。たとえばFirefoxを使っているとIEしか開けないページに出くわす。逆はあまりないかもしれない。しかし、FirefoxにはIEにない多くの便利なアドオンがある。両者のよいとこどりをしたい。

多数のミニクラウドか、少数のメガクラウドか

クラウドに関する予想には2つあるようだ。
多数のミニクラウドができるという考えと、少数のメガクラウドができるという考えだ。メガクラウドという言葉は、ここだけの造語だ。100万台からなるGoogle規模のクラウドという意味で用いた。メガクラウドが世界に5カ所あれば現在の需要をまかなえるという話もある。
合理的に考えれば少数のメガクラウドだろう。しかし、人間は必ずしも合理的ではない。
少数のメガクラウドでは寡占状態となり、計算価格が高騰する危険性がある。
一方、ミニクラウドは現在の企業サーバより大規模になるはずだが、それほど変わらないかもしれない。つまり、ミニクラウドは投資的にも環境的にも贅沢なシステムだということだ。しかし、既存の企業システムの延長で実現できるので、ビジネス的には多数のミニクラウドができたほうがよい。

研究テーマは予算が決める

予算が豊富な国立大では大規模なプロジェクトに取り組むことができる。スパコンを導入して、先端科学を探究できる。
一方、予算が少ない私立大では小規模なプロジェクトにしか取り組むことができない。大規模プロジェクトも不可能ではないだろうが、継続的に実行することは困難だ。なぜなら、そもそも小規模向けのテーマしか持っていないからだ。
テーマは研究者の環境に大きく左右される。貧乏人が金持ちのようにふるまってもすぐに資金が枯渇する。だから金がなくてもできるテーマを探す。そして、そのようなテーマを続けていれば、大きなテーマにチャレンジすることは難しくなる。
テーマと予算は卵と鶏のようなものだ。
普通なら「この連鎖を断ち切るべきだ」と主張するところだが、よく考えるとそうともいえない。ある意味では役割分担ができている。小さなテーマの多数と大きなテーマの少数を比較して、大きなテーマばかりを持ち上げるのは正しくない。小さなテーマは決定打にならないかもしえないが、大きなテーマを細分化したもので、そのすそ野の広がりが大きなテーマの失敗を回避する保険となっている。

2008年2月26日火曜日

コンタクトレンズの左右識別

コンタクトレンズを使っていると、ときどき左右のレンズを間違えることがある。
容器に入れる際によく確かめずに入れることがある。
装着時に気がつくこともあるが、些細な違いになかなか気付かないこともある。些細とはいえ間違って装着し続けると視力を下げるかもしれない。
そこで、コンタクトレンズの左右を確認できるようなしくみをコンタクトレンズそのものに付加してほしい。例えば、突起をつけたり、色やマークをつけたりする。
さすがに眼球側に突起を作るのはないだろうが、瞼の側に突起を作っても慣れれば問題ないように思える。
また、色やマークも視界を遮らず、しかも目立たなければ、突起よりよいだろう。
別の方法では、大きさを変えるという考えもある。これは無難な方法だが、同じ素材で大きさだけ変えることができるのかは不明だ。
もしかしたら、すでにそのようなコンタクトレンズがあるのかもしれないが、それならレンズ作成時に一言教えてほしいものだ。

2008年2月25日月曜日

Streaming vs. Video podcasting

YouTubeでStreamingが普及しているようにみえるが、Streamingが商業的に成功しているのは日本くらいだろう。日本にはハリウッドほどではないが、しかしそれに匹敵するコンテンツがあり、しかもハリウッドほど高くない価格で流通しているからだ。
Streamingの多くはWeb 1.0で行われている。しかし、これは手堅い反面問題も多い。例えば、ネットワークの品質によりしばしばコマ落ちする。高い値段でFTTHを導入すれば済むだろうが、皆ができることではない。ADSLのようなナローバンド(昔はADSLもブロードバンドと呼ばれていたが)では、Streamingは少し苦しい。お金を払っても満足な映像が見られないでは、なかなか普及しない。
それに対してVideo podcatingは枯れた技術だ。単にファイルをダウンロードしているだけだ。団ロードに時間はかかるが、ダウンロードが終われば快適に映像を楽しむことができる。しかし、画質を追及するとダウンロードは非常に長い時間がかかる。見たい時に見られるわけではない。そこで、BitTorrentのようなP2Pが注目される。また、Video podacastingではコンテンツ保護が難しい。アナログに変換されればDRMも意味がない。しかし、そもそもDRM自体が普及の抑制原因となっているようにも思われ、次第になくなりつつある。そうなればVideo Podcastingの問題が一つ減る。
このような利点と欠点を考えても、将来はVideo podcastingが勝つ可能性が高いように思える。
StreamingはNGNで帯域保証されれば活気づくかもしれない。しかし、所詮は島国日本の中だけの話だ。グローバルなStreamingはこれからもナローバンドが中心となる。
それに比べてVideo podcastingならば、今すぐでも高画質の映像を楽しむことができる。EUはTVコンテンツの配信をP2Pで行うことにしたようだ。
日本はインフラがあまりに進みすぎ、かえって新技術によって足元をすくわれている。韓国はADSLが普及しすぎたためFTTHが普及しないと聞く。同様に日本ではFTTHが普及しすぎたため、旧態依然たる配信方式に固執しているのかもしれない。

10年分のメールで1.5GB

普段はGmailを使っている。
Gmailには6GBの容量があるが、なかなか使いきれるものではない。もっともGmail Driveなどを使ってしまうとあっという間かもしれない。
どのくらい使えるのか簡単な試算をしてみる。いま、10年分のメールをGmailに保存して、1.5GBだ。よって、6GBを使い切るには後30年かかる。
しかし、これは少しいい加減な試算だ。というのも、Gmailを使う前はメールをこまめに消していた。しかし、今では消していない。つまり、昨年までのメールの量と今年のメールの量はかなりちがう。本来はそこまで考えて計算しなければならない。
もう少し時間ができたら計算してみよう。

途上国の観光振興

企業と労働者、先進国と途上国の関係は必ずしも同じではないが、似ている。
企業は客にモノやサービスを売って利益を得ている。この客とはいずれかの企業の労働者だ。つまり、企業が労働者に賃金を支払わなければ、企業は労働者たる客から利益を得ることができない。
先進国と途上国の間に雇用関係はないが、貿易によって対価が支払われていると考えれば、貿易収支によって雇用関係に見立てることもできるだろう。例えば、日本企業は中国で生産している。となれば日本(企業)が中国(労働者)を雇用していると考えてよい。
日本企業が対中貿易で黒字を出そうとしたら、中国自身が豊かでなければならない。貧しい人が車を買うことはできない。そして、今中国は豊かになった。
同じことが他の発展途上国にも言える。途上国を豊かにすれば新たな市場が形成される。よって、企業は自らの市場拡大のために途上国を援助するべきだ。
本業で援助できれば一番よいが、それではドル箱の商品をただでくばるようなものだ。利益にはならない。
どのような国であれ、自然の恵みがある。そこから農業と観光という産業が生まれる。途上国では、農業は自国の国民を養うだけで精いっぱいかもしれない。そこで、観光が重要になる。
企業は観光資源の開発を通じて援助すればよい。これから中国からの海外旅行者が増えるだろう。これが世界中に富を分配するしくみとなる。先進国の多くは観光立国でもある。富が再び先進国に戻ってしまうのではよくない。
途上国が観光立国となるには、ユニークな観光資源が必要だ。観光資源として世界遺産がなくてもよい。古代の建造物もロマンだが雄大な自然や異なる文化も十分に観光資源となる。他国と違ってさえいればよい。
しかし、観光資源だけではいけない。安全こそ一番重要な条件だ。工場誘致でも安全が重要な条件だ。その国を安全にするには、賄賂やマフィアを(少なくとも観光客の前から)根絶する必要がある。

2008年2月24日日曜日

年収1000万世帯は下流?

米スタンフォード大が世帯年収1100万円未満の学生の授業料を無料にするようだ。
このクラスの大学では授業料収入は大した問題ではないとしても、年収1100万円未満の世帯というといかにアメリカでもほとんどの学生が対象になるような気がする。
ただし、この待遇が留学生に当てはまるかどうかはわからない。
もし、あてはまるなら頭脳流出は加速するだろう。もっとも、これを非難することはできない。
すでに、本当に優秀な人材は留学する時代になっている。
日本では年収300万円の世帯が増えてきているという。大半の世帯は年収1000万未満だろう。ならば、誰でも、つまり、あまり優秀でない人材も留学する時代になるということかもしれない。その場合、スタンフォード大のメリットがどこにあるのかわからない。単なる社会貢献の一環ということかもしれない。

Windows Live SkyDrive

Windows Live SkyDriveのサービスがはじまった。5GBまで無料でファイルを保管してくれる。
5GBという容量はGmailに及ばないが、Gspaceより汎用的に使える点がよい。
MediaFireに比べ広告が少ない点もよい。
この5GBという限界を問題としないなら、よいオンラインストレージだ。
Googleドキュメントは、Office文書だけならオンラインストレージとして使えるが、ファイルを変換してしまうので、元の文書構造が破壊される。ダウンロードしても完全に元の文書に戻ることはない。SkyDriveでは、そのようなことはない。
Yahoo!ブリーフケースはSkyDriveと同じサービスだが、容量やインターフェースの点でSkyDriveにまったく及ばない。少なくともブリーフケースに関してはMicrosoftが欲しがるような技術者はいないのではないだろうか?
ブリーフケースよりはAjaXploererの方がずっとましだ。
このように比較すると、SkyDriveは現時点でメジャーなポータルがサポートするオンラインストレージとしてはベストだろう。
今後、Googleが、この分野に進出してくれることを期待したい。さぞかし、おもしろいシステムを提案してくれることだろう。
少なくとも、タグによる分類、AdSenseまでは予想できる。
Googleは用途別あるいはアプリケーションに特化した内部システムを開発している。それらは汎用ストレージと相性が悪いのかもしれない。Googleが手をこまねいている理由は、そのあたりにあるようにも思える。

2008年2月20日水曜日

インターネットが脳にならない理由

コネクショニズムに基づく人工知能は停滞しているようにみえる。
コネクショニズムとは簡単にいいかえればニューラルネットだ。
かつてThinking Machine社は1ビットのプロセッサを多数集めたスーパーコンピュータを開発した。その特殊性から成功はしなかったが、当時でも高性能を実現した。その後、コネクショニズムはネットワークがボトルネックとなり停滞した。そして今でも停滞している。
しかし、今インターネットの時代になり、世の中には非常に多くのパソコンが普及している。全世界のパソコンを接続すれば、一人分の脳を実現することができるのではないか?と考える人は少なくないと思う。
ここでは、それが成功しない理由を大雑把な計算で示し、無駄な努力をすることがないように戒めると同時に、どうすればよいかの指針を示す。
まず、脳細胞の数だが、大脳で140億、小脳で1000億といわれる。一般に知能は大脳活動と考えられているので、ここでは140億を想定する。しかし、本当に大脳だけで思考ができるのか保証はない。
140億の大脳細胞のうち人間は3%しか使っていないという。したがって、実際に活動している細胞の数は4.2億にすぎない。
ここで、インターネットのパソコン台数だが、ガートナーの調査によると2002年の総出荷台数が10億台とのことだ。しかし、これは10億台のパソコンが常に動作しているという意味ではない。最近では42億台という数値もあげられているが、これも保証の限りではない。
しかし、もっと少ない台数でもかまわない。1台のパソコンで少なくとも数万の神経細胞の動作をシミュレートすることは造作もない。少なくともメモリの問題ではない。問題は計算速度だ。
次に、計算速度と同時に重要な通信帯域について考える。
脳の神経細胞のネットワークは140億×1万といわれている。つまり、1つの神経細胞は1万の神経細胞と接続していると考えられる。また、神経細胞の信号伝達速度は100m/sである。そして神経細胞の長さは2mm~1mと多様だ。
神経細胞の長さを2mmと仮定した場合、遅延は0.2msecとなる。これが1万と同時に通信するなら、その帯域は50Gbpsになる。1mと仮定すれば、遅延は10msecであり、帯域は1Gbpsである。
つまり、スローモーションの脳を実現する場合でも、すべてのパソコンが1Gbpsで接続されていなければならない。
これは現時点では不可能だ。しかし、インフラの整備やスーパーコンピュータの技術開発により近い将来、これだけの帯域が確保される日が来るだろう。その時には、脳の実現が一大プロジェクトになってもおかしくない。
せっかく、ここまで考察したのでもう少し続ける。
1台のパソコンに1万の神経細胞を束ねた場合、外部との帯域も1万倍になる。よって、低速のCPUと超高速のネットワークが一番よい。
残念ながら50Gbpsの1万倍もの超高速のネットワークは当分実現できそうにない。そこで、脳のクラスタ分析が必要になる。脳細胞は均質ではないだろう。トポロジーに偏りがありクラスタが形成されていれば帯域を制限できる。クラスタ内は1台のマシンで実行する。1台のマシンの内部的な帯域はネットワークの帯域より大きい。ただし、本当に1台だとノイマンのボトルネックがある。
もっとも大きな脳のクラスターは右脳と左脳だ。右脳と左脳は2億の神経細胞で結合しているといわれている。2億は大きいが140億全体から見れば小さい。もっとも、実動4.2億に比べれば十分大きい。おそらく2億の中でも活性化しているものは少ないだろう。
スーパーコンピュータで左右の脳をそれぞれシミュレーションできたとする。すると2台のスーパーコンピュータの間で2億×50Gbps=10Ebpsの帯域が必要になる。力技だが、2億本の50Gbpsで結合すれば実現できる。このレベルの交換機を今から研究すればよい。
もう少し控え目な見積もりもしておこう。140億に脳細胞を2億の神経で結合しているならば、1/70だ。4.2億の活動している脳細胞を結合するのも0.06億で済むかもしれない。その場合、3Gbpsの帯域で十分賄えることになる。さらに1細胞あたり1Gbpsの場合は、60Mbpsでよい。もし活性化している脳細胞だけを特定することができれば、比較的容易に脳を実現できるかもしれない。

2008年2月19日火曜日

車とパソコンの共通点

車は統合型商品で、パソコンはモジュール型商品だといわれる。
統合型では、日本のすり合わせの妙がいかんなく発揮され、機械に感性を与える。その感性が付加価値になる。
モジュール型では、単に部品を組み合わせるだけで、感性がないため、生産性だけで価値が決定される。
というのはよく聞く話だが、インドのタタ社の超廉価車やOLPCなど、車とパソコンの価格破壊は更なる次元へ移ってきた。その点では車もパソコンも似たようなものだ。大きな変革の波にさらされるだろう。
しかし、車にはハイブリッドなどの付加価値が多少は残っているが、パソコンにはもう後がない。懐の深さで自動車はしのげるかもしれないが、日立に続いてパソコンから撤退するメーカーが登場するのも遠い将来のことではないだろう。
国内市場ばかり見ないで、むしろ海外市場で競争するようにしなければ未来はない。
ではどうすればよいのか、といえば、以下のような特徴を極限まで追求することだろう。
・美しさ
・軽さ
・薄さ
たとえば、ガラスのPCなどはどうだろう。強度など無視してよい。インテリアだと割り切ればよい。
究極の1チップPCなどが考えられるが、そのためにはIntelに遠慮せず互換CPUを開発しなければならない。太陽電池で動かすくらいのことは、そろそろ実現してほしい。いつまでも夢のままで終わらせては技術者の沽券に係わるのではないだろうか?
バッテリが重いなら、あえてバッテリをはずしてはどうか?そして美学を追求しては?アップルが頑なにバッテリを交換させないように、こだわりや欠点が新たな分野を開拓することもあるだろう。

X11対VNC

X11はUNIXで主流(というより唯一といってもよい)のウィンドウシステムとそのプロトコルだ。X11はWindows登場以前からウィンドウシステム自体にネットワーク端末の機能が備わっていた。Windowsがリモートデスクトップを採用したのはつい最近のことだ。
しかし、今ではローカルでX11を使うことはあっても(UNIXなら間違いなく使っているはず)、リモートで使うことはめったにない。
一方、現在のリモート操作の雄はVNCだ。WindowsでもLinuxでもOSを選ばずに使われている。Windowsのリモートデスクトップはさておき、X11が動作するUNIXでもVNCが使われているのは、きわめて簡単な理由からだと思う。それは純粋なクライアントサーバ方式だからだ。
X11では、クライアントPC側でX11のサーバが稼働し、PC画面に表示を行う。つまり、サーバで動作するX11アプリケーションはクライアントになる。
それに対してVNCでは、クライアントPCでVNCクライアントが動作し、サーバでVNCサーバが動作する。
このクライアントとサーバの逆転現象こそX11の普及を阻んだ最大の要因だと思う。X11自体の機能は決して悪くない。GNOMEのようなデスクトップを立派に構築できることで証明済みだ。
この逆転現象は、X11が過去の産物であるために生じたものだ。過去のインターネットはアドレスも豊富(と思われていたの)で、皆がグローバルアドレスを割り当てていた。しかし、それはもはや過去のことで、今ではアドレスが枯渇し、またセキュリティのために多くの組織がプライベートアドレスを用いている。
プライベートアドレスは基本的に一方通行である。サーバPCのアドレスがグローバルでもクライアントPCはプライベートだ。そのためX11プロトコルはサーバからクライアントに決して到達しない。IPフォワードやプロキシで対応することも可能だが、あまりに面倒だ。特にクライアントPCのアドレスがDHCPで変化するときには毎回設定しなおす必要がある。
ところが、純粋なクライアントサーバのVNCは容易に接続できる。この差が大きい。
プロトコルだけ見れば、VNCよりX11の方が抽象度も高く、優れているようにみえる。しかし、抽象度の高いプロトコルは、描画モデルがわずかに異なるだけで対応できなくなる危険もある。原始的なVNCの方が非効率でも幅広く対応できる。しかし、これは二次的な理由だと思う。
失敗から学ぶことは多い。X11がなぜ失敗したのか理解して、無理なアーキテクチャを採用しないことだ。コールバック手法のほとんどが失敗の要因を持っている。コールバックするなら必ずクライアント主導でなければならない。

2008年2月18日月曜日

Office 2007のFluentユーザインターフェイス

2008年になってようやくOffice 2007を使い始めた。理由は、今年度いっぱいはOffice 2003を使う必要があったからだ。しかし、来年から組織内で全面的にOffice 2007に移行することになった。そのため、遅ればせながらOffice 2007をインストールして使い始めた。
Microsoftは、とんでもないことをしてくれた。というのが第一印象だ。
ソフトがアップグレードすれば使い方が変わるのは当然なので、それ自体どうこういうつもりはない。しかし、メニューバーがないとはどういうことだ。
Windowsアプリの操作の基本はメニューバーだ。それをOffice自らなくしてしまうとは、自らの否定ともいえる。これが新世代のユーザインターフェースだとでもいうのだろうか?
ツールバーは設定によって様々に変化する。そこで、コールセンターなどで初心者に操作説明をするには、メニューバーが最後のよりどころとなる。
しかし、Office 2007では、そのメニューバーがなく、カスタマイズ可能なリボンしかない。確かにリボン自体は悪くない。巷には独特のリボンに慣れない人もいるが、新しいインターフェースだとすれば悪くない。問題は、古いインターフェースを切り捨ててしまったことだ。
新しいインターフェースを導入したら、それに慣れるまで古いインターフェースも提供するのが当然のように思える。いきなり新しいインターフェースだけ提供したら、それに慣れるまでの期間、生産性が落ちてしまう。一般的に、インターフェースに慣れるまで3か月かかると言われている。これは短くない。
インターフェースを刷新することが許されるには、新しいインターフェースにより作業を大幅に効率化することができる場合だろう。しかし、Fluentは単にコマンド選択を整理しなおしただけで、コマンド自体が便利になったわけではない。これで大幅に作業効率が向上するとは思えない。
正直、カスタマイズ至上主義にとらわれて、実際のビジネスの現場のニーズをとらえていないのではないかと思える。
このような改悪?でアップグレード料を徴収していたら、ユーザからそっぽを向かれてしまうだろう。おそらく、Office 2007の失敗によってOpenOfficeのシェアが高まるだろう。
OpenOfficeはMicrosoftの失敗を生かして着実にバージョンアップするべきだ。
基本的にワープロソフトは完成の域に到達している。ワープロ+αとなることを模索している。しかし、そのような時代だからこそ基本が大切だ。ワープロとしての基本を忠実に守り、文書ハブとしての役割を果たすことこそ中核ワープロに期待されている機能だ。
その意味では、Office 2007と2003の互換性が不完全な点も問題だ。そして、OpenOfficeとOfficeの互換性もまだまだ不完全だ。

Javaの問題点

Javaの問題点はライブラリにある。
こういうとライブラリ(API)こそJavaの最大の利点ではないかと反論する人がいるだろう。
その通りだが、長所は時として短所となる。
Javaのライブラリは便利だが、世の中にはもっと便利なライブラリがある。例えばPerlのCPANだ。そのようなライブラリと比較すると短所に見えるということだ。
Javaライブラリは年々肥大化している。中には全く利用しないライブラリもある。無駄なライブラリに資源を占有されるのはよくない。
確かにHDDは1TBに達し、資源は余裕があるように見える。しかし、Javaが動作するPCには4GBのSSDしか搭載していない機種もある。その差は1000倍近いので資源に対する制約条件も大きく違う。プラットフォーム独立とは、どのようなプラットフォームにも対応できなければならないということだ。4GBのPCでもJ2SEが効率よく動作しなければならない。
そこで、パッケージごとに選択してインストールできるようにし、さらに動的にインストールできるようにする必要がある。完全インストールかオンデマンドインストールかを選択できるようにするわけだ。また、オンデマンドインストールの場合はダウンロード及びインストールを安全に行う方法を提供する必要がある。
そうなると、J2SE,J2EEの区別はほとんど意味がなくなる。ついでにJ2MEをPC用Profileとして統合すればエディションを統合できる。
Javaこそクロスプラットフォーム開発の機能が必要だ。コードは同じだが、対象によって使用するProfileが違う。一般にJ2MEの方が低レベル(抽象度が低い)だが、その分高性能だ。
また、オンデマンドインストールが可能となれば、ライブラリのレポジトリを一般に公開することもできる。つまり、サードパーティのライブラリも同様の仕組みで流布することができる。これはEclipseのしくみに似ている。
本音を言えばEclipseよりCPANの方が整合性が取れているように思える。どうせならJava版CPAN(CJAN?)を目指したほうがよい。
そのとき問題となるのが、Javaのライセンスだ。しかし、オープンソース化するという話なので解決できるだろう。

2008年2月12日火曜日

化合物DB

科学、特に化学は無限の組み合わせを探求する学問だ。
少しでも探索を楽にするにはDBの活用が不可欠だ。
化合物のDBは古くからある。
しかし、それが問題ではないだろうか?
つまり古いやり方がいまだ続いている。
古くてもよいものは多い。なにより実績によって裏付けられている。
しかし、新しいやり方を試す必要もある。
ここで、新しいやり方とは金銭的な代価ではなく名誉などを代価とする方法だ。つまり、OSS運動あるいはWeb 2.0と同じものだ。
巨大DBの例としてWikipediaがある。Wikipediaは多数のボランティアで運営されている。
科学者は論文で収入を得ているわけではない。それゆえ、代価として金銭を常に求めるわけではない。
したがって、多数の知識を無料で集約するやり方には向いているはずだ。
一般には、科学には最先端のイメージがあるだろう。
しかし、実際にはその方法論は古典であり、やり方も古臭い。
科学には、その方法論自体にBPMが必要だ。
それを最も強く示したのがヒトゲノムだ。ヒトゲノムは科学的方法論の革新だった。

仮想USB

USBをさらに便利に使うには仮想USBデバイスがあるとよい。
仮想USBデバイスにより様々な仮想デバイスへデータを転送できる。それによってフィルタ処理など様々な応用が可能だ。
QEMUには仮想USBハブがあるらしい。確かに仮想マシンの上でなら何でも仮想化できるが、性能が大きく犠牲になる。

USBキャプチャー

USBは最も接続性の高いインターフェースだ。
USBで接続できないものはないといっても過言ではない。
マウス、キーボード、HDD、LAN、Wi-Fiからディスプレイまで接続できるようになっている。
ここでは拡張ディスプレイとしてのUSBに注目する。
ちなみに、ここでいうUSBキャプチャとは、USBビデオキャプチャのことではない。USBビデオキャプチャはビデオをキャプチャするUSBデバイスだが、USBキャプチャはUSB信号をキャプチャする汎用デバイスだ。
USBで拡張したディスプレイへの表示データをキャプチャすればなんでもキャプチャできる。
もちろんキャプチャしたデータを保存するストレージが必要だ。USBの最高速度と同じ速度で読み書きできるストレージでなければならない。SSDのRAID0なら最高速度を実現できるだろう。
USBキャプチャには様々な用途が考えられる。

2008年2月11日月曜日

5W1H

複雑なものを単純化すると整理できる。
学問分野も複雑である。
そこで、5W1Hの観点から学問分野を整理して見る。
5W1Hとは、「だれが(Who)いつ(When)どこで(Where)何を(What)なぜ(Why)どうした(How)」という状況を表す。
Whenは、時間軸に沿って体系化した学問であり、主に歴史を表す。
Whereは、空間軸に沿って体系化した学問であり、地理や国際関係を表す。
実際には、地理でも歴史が考慮されるだろうが、ここはあえて単純化する。
Whatは、対象に沿って体系化した学問である。どの学問にも対象があるが、最も根源的なものは物理だろう。人間や社会も対象となるが、どちらが根源的かといわれれば物理だろう。
Whyは、因果関係に沿って体系化した学問である。おそらく哲学だろう。
そして、Howは、工学だと思う。工学は、答えを求めるのではなく、応用を求める。

ゆとり

ゆとり教育という。また、地方分権も「ゆとりと豊かさを実感できる社会」を目指したものである。政治の目的には「ゆとり」が多い。
しかし、そのいずれも(まだ断言できないが)失敗の可能性が高い。
直感的にも「ゆとり」は「余裕」であろう。だとすれば勝者にのみ与えられるものかもしれない。
これらの政治目標はいずれもバブル期に掲げられたものだろう。
今は余裕などなく、必然的にゆとりも確保できなくなっている。
なお、ゆとり教育の「ゆとり」は少し意味合いが違うかもしれないが、ここでは一般的に通じる意味で述べた。

音声合成のPodcast

音声合成を行って、その結果をPodcastしたらどうだろう。
別にPodcastが目的なのではなく、単に音声ファイルをオンライン上で編集することが目的だ。
例えば、時間計測を行う業務がある。
50分たったら「後10分で終了します」のようにアナウンスする。iPodを使う場合は、自分自身への注意を喚起するために使う。例えば、49分たつと「準備をしてください」のように注意を促す。
自分の好きなタイミングでアナウンスを作れる、そんなサービスがあればうれしい。

アドオンスクリプトのフレームワーク

最近はクライアント側で任意のスクリプトを実行できるようになってきた。
Greasemonkey(Firefox), Triexie(IE), SeaHorse(Sleipnir)が代表例だ。
これらはクライアントサイドスクリプトに分類されるが、通常のクライアントサイドスクリプトはページの枠を超えることができない。しかし、上記のスクリプトは容易にその枠を超えることができる。そこで、これらのスクリプトにアドオンスクリプトという名前をつけて別物と考える。
そこで、このようなアドオンスクリプトを開発するために何をするべきか考えると、フレームワークが必要だと思う。特に、アドオンスクリプトはブラウザおよびそのアドオンに大きく依存する。まず、アドオンの違いやブラウザの違いを吸収できるレイヤーが必要になる。これはよい特徴をスポイルすることにもなりかえないが、多くの場合は生産性を向上させる。
次に、どのような機能が必要か考える。
これらの特徴を活かした用途はUI、P2Pなどだ。よって、それに準じた機能をまとめるとよい。
・Ajax
・デバッグ
・スタイル切り替え
・include
などだろう。

2008年2月9日土曜日

PCなしのインターネットTV

インターネットTVを阻む技術的な課題はほとんどないといってよい。
大画面を満足させるHD品質にはまだ早いかもしれないが、少なくとも従来のアナログTVやそれに続く地デジ相当は十分に実現できるだろう。
問題はインターネットを使うにはPCを操作しなければならないというテクノロジの格差だ。
TVではないがラジオでは、PCなしのインターネットラジオが商品として販売されている。このような商品が成立するのはチャンネルリストが整理されているからだ。よって、インターネットTVを成立させるにはチャンネルリストさえあればよい。もちろん、それ以前にコンテンツが必要だが、これは自明なのであえて議論しない。
誰がチャンネルリストを掌握するかが問題だ。YouTubeは自ら配信しているので、チャンネルリストサービスプロバイダーとしてはふさわしくない。YouTubeも含めて包括的なサービスを提供してくれる業者が登場すれば、一歩先んじることができるだろう。

知的生産術

勝間女史によれば知的生産術の三種の神器は、
・フォトリーディング、
・親指シフト
・マインドマップ
だそうだ。
フォトリーディングは知らなかったが、速読だと思われる。また、マインドマップはフィンランドメソッドとの関連でも有名だ。この2つは素直に納得できる。
しかし、親指シフトにさほど意味があるとは思えない。へたにツールに依存するといざというとき生産性が発揮できないような気がする。
まあ、これは偏見かもしれない。

REST:哲学か、実用か

理念と現実の対立はどの世界にもある。
最近、Webサービスが盛んだが、SOAPよりRESTの方が多いらしい。
RESTは、Webサービス専用のフレームワークではない。むしろ、HTTPを一般化したアーキテクチャである。あくまで概念的なものであるから哲学といえるだろう。
RESTは、
・(内容ではなく意味の)同一性を表す識別子としてURLを使う。
・操作をHTTPのメソッドに対応させる。
・ステートレスである。
などの特徴を持つ。これらにより効果的にキャッシュすることができる。しかし、これらの特徴、特にHTTP操作への忠実な対応によりテストが難しくなる。
HTTPのメソッドをCRUDに対応させると、POST(Create)、GET(Retrieval)、PUT(Update)、DELETE(Delete)となる。このうちHTML Fromから利用できるのはGETとPOSTだけだ。
そこで、「method=~」のようなパラメータをつけたくなる。もちろん同名のパラメータをアプリケーションが使うなら別名にしなければならない。例えば、「_method=~」とすればよい。
ところがRESTの哲学では、これは邪道だ。しかし、テストだけに限れば、りっぱな方法論だと思う。テストはformのmethodで行い、完成すればHTTPのメソッドで動かす。これにより理想と現実を両立できる。

2008年2月8日金曜日

W05Kでどこでもオフィス

auのW05Kで定額データ通信ができる。
通信速度が100kbps程度なので、本格的な利用は厳しい。例えば、ストリーミングなどには全くといってよいほど使えない。しかし、基本的なネットサーフィンは楽しめる。
1つのW05Kで多くのPCが通信するには、W05Kをインターネット接続共有に設定し、無線LANをアドホックモードにするとよい。
以下に基本的な手順を示す。
W05Kをインターネット接続共有にするには、ダイヤルアップ接続のプロパティの詳細設定で、「インターネット接続の共有」を許可する。
次に、ネットワーク接続で、ワイヤレスネットワーク接続を表示し、右ボタンのプロパティを選択する。これでワイヤレスネットワーク接続のプロパティが表示される。
ワイヤレスネットワークタブで、詳細設定からアドホックネットワークのみを選択する。
任意の名前のネットワークを追加する。このときユーザを限定したければWEP暗号化を行い、そうでなければ暗号化を無効にする。WEP暗号化したときにはキーを伝える必要がある。
ワイヤレスネットワークのTCP/IPのプロパティで、192.168.0.1(255.255.255.0)に設定する。また、DNSをW05Kと等しくなるように手動で設定する。

Taspo

未成年がたばこを買うのを抑止するためにTanspoなる非接触ICカードが発行されるらしい。
これは壮大な無駄だと思う。もう少し制度や技術を整備して導入すべきだろう。
ICカードは必ずしも本人認証ではない。単にカードを(そのとき)持っているかどうかを示すものだ。カードを貸し借りしたら意味がない。
大人のモラルに期待しているようだが、モラルで済む問題なら、そもそも未成年者の喫煙がこうも多くなることはないだろう。喫煙者の親が子供に喫煙するなといえるのだろうか?
それでは、どうすべきかというと、本人認証ないし年齢認識の実用的な技術を開発してから、導入すべきだ。それまでは業界圧力がどうあろうと対人販売に限定するしかない。さもなければ未成年者の喫煙をさほど問題視する必要はないだろう。

2008年2月5日火曜日

生きる証としてのブログ

何のためにブログを書くのか?
これはブログを書いている人の多くが絶えず問い続ける疑問だと思う。
まったく疑問に思わない人もいるだろうが、その人は幸せな人だ。
ブログを続けていると義務感で書いている時期を少なからず経験するはずだ。ブログでなくても日記、日課といいかえてもよい。
義務でもないのに、わざわざ苦労している奇妙な状況に、なぜか抵抗できない(あるいは自虐的な楽しみを感じる)自分がいる。
ブログは決して楽しいばかりではない。継続することは力を与えるが労を求める。
にもかかわらず多くの人がブログを書く理由は何だろう。
もしかしたら自分が生きている(あるいは生きていた)証を世間に(あるいは後世に)残したいと思っているのかもしれない。

年金銀行

年金システムの理想像を考える。
現時点での私の考えは以下の通りである。
年金は継続性が重要だ。それが安心感となる。よって、人口に左右されるシステムは改める必要がある。基本的に自己扶養を原則とする。世代間格差は税金で解消するしかない。
年金を管理するシステムは銀行を模倣する。特殊なシステムでは理解が困難となる。専門家でなくても使えるシステムとするために銀行を模倣する。特にネットバンクは管理者も少なく運営費もかからない。そこで、このような年金管理機構を年金銀行と呼ぶことにする。
成人すると年金支払い義務が生じるので、年金カードを発行する。年金銀行はあらゆる銀行ATMと契約する。場合によっては法律を制定する。利用者は年金カードでいつでも身近なATMで自分の年金額を確認できる。これで不安は一掃される。
よほどの事情がない限り、どんな人でも銀行は使う。よって年金銀行を使えない人はほとんどいない。
問題は、銀行のATMに大きな変更を加えることなく、年金銀行の仕様を満たすことだ。よって、年金は外部から口座のように見えなくてはいけない。
自分の支払った年金を入金とする。入金はいつでも行える。しかし、出金は一定年齢に達するまでできない。また、送金もできない。本人が一定年齢に達して引き出す以外の出金はできない。年金の支給額は月の出金限度額で決定される。
年金支給額をいつ決定するかが問題となる。早いほど不安がないが、確約が困難だ。年金は一種の投資信託である。
年金支給額を支給開始年齢に設定すると、そのとき数十年分の利息が加算される。これが年金原資となる。
年金銀行の口座の特徴は赤字を許容することだ。毎月限度額まで引き出して、長生きすると、やがて原資を超えるときがくる。それでも引き出せる。マイナスになるほど長生きすれば元が取れたということになる。もっとも利息を含めれば十分元は取れているので、マイナスになると年金に負荷が生じていることになる。だとすれば、わざわざ利息を加算する必要はないかもしれない。生き続ける限り無限に引き出せる財布のようなものだ。
一方で、悪用を防ぐ必要がある。定期的に本人確認が必要となる。少なくとも1年に1度は身分証明書を持参して、本人確認する必要がある。これも銀行窓口に委託する方法もあるが、できる限りITを駆使して無人で自動化するほうがよい。
このような方法を用いれば、社会保険庁の職員のほとんどは不要となる。
次に、その人たちの雇用について別途考える必要がある。

生物的データセンター

生物は新陳代謝によって定常状態を維持する。
その意味ではデータセンターは生物に似ている。
単純にMTTFで計算すると、データセンターでは毎日のように故障が発生し、部品を交換している。また、老朽化により性能が劣化したら交換する。
やがて、すべての部品が交換されたら、新しいシステムに生まれ変わる。しかし、部品は変わっても本質は変わらない。
ソフトウェアを生命、部品を細胞にたとえると、まるで生物のように聞こえる。
巨大な情報システムを考えるとき、特にライフサイクルを含めて考える場合、生物との類似性を考慮することは有益だ。
もちろんデータセンターは生きていないので、過剰な擬人化は不要だが、よい比喩になる。

2008年2月2日土曜日

922SHに期待

インターネットマシン922SHが発売されれば購入したいと思っている。
2つの理由がある。
1つは、元々古い携帯なのでそろそろ買い換えてもよいころだと思っていた。
もう1つは、スマートフォントも違うという点だ。
俗にスマートフォント呼ばれるものはW-ZERO3に代表されるようにWindows Mobile機だ。別にWindows Mobileが悪いわけではない。通信料が問題だ。
PC接続扱いされると通信料が急激に高くなる。あくまで携帯としての料金でインターネットが使えるならベストだ。
はたして922SHはどうなるだろう。

2008年2月1日金曜日

賞味期限の長い食品

食品の中には賞味期限の長いものがある。
例えば、豆腐を例にしても、普通の豆腐は4日ぐらいしか保たないものや、1週間以上保つものがある。
確かに余計なものが入っていないほうが体によいように思えるが、健康に影響がなければ多少味が落ちても長期保存できる食品には一定のニーズがある。
その期間は1週間を目安にできると考える。なぜなら、夫婦共稼ぎとなれば1週間まとめ買いというのがおきまりのパターンだからだ。よって、1週間というのは店頭に並んでから1週間を意味する。
その起点は週末だ。週末から週末まで保つものが望まれる。
個人的には食パンの賞味期限が延びて欲しい。

水平型サービス

水平型サービスは造語だ。
いうなれば複数のシステムにまたがる共通機能を提供するサービスである。
最近では、認証や認可などにオープンな水平型サービスが登場している。
ここで、1つのサービスを提案したい。
それは装飾サービスだ。
詳しい人ならHTMLとCSSの役割分担を知っているだろう。システムを開発するときは論理構造であるHTML(それ以上に抽象的なXMLでもよい)で作成し、CSSで外見を整える。CSSを入れ替えるだけで別のサイトのようになる。
このCSSをシステムごとに独自のテンプレートを用いている。これが無駄に思える。オープンテンプレートなるサービスがあってもよい。
そうなればデザインに手間をかけずに、新たなサービスを次々開発できる。それでいてデザインレベルは落ちない。