2012年6月21日木曜日

Literal Engineering

文学作品を工業製品のように生産する技術をリテラルエンジニアリングと名付けてみた。
文学も広義のメディアであるが、文学にしかない特徴がある。それは詳細な心理描写が可能なことだ。音声メディアの落語では心の声を話す。映像にも回想や想像のシーンがある。しかし、心の声ばかりの落語や映画はテンポも悪く、わかりにくい。心理描写は最も本質的な表現であり、あらゆるメディアに対して文学が有利な点だ。
文学にもさまざまな種類があるが、工学的な意義からは小説や物語を対象にするとよいだろう。物語の作成方法には様々な方式がある。代表的な方法は神話の構造だ。物語が時間的な構造だとすれば空間的な構造は世界観だ。
文を表現対象で分類すれば、心理描写、風景描写、セリフなどに分類できる。
風景描写はあまり独創的である必要はない。ほどほどに文学的な表現が織り交ぜてあれば十分で、過剰な表現はかえってわかりにくい。むしろ表現対象を余すところなく表現することが重要だ。例えば、その風景に存在する必要要素を数え上げておくとよい。風景描写はかなりの部分まで工学的に生成できるだろう。
セリフは、説明なしに発言者が推測できるものがよい。これにはキャラクタの個性を把握し、反映する必要がある。Siriなどの自動応答サービスの応用でセリフの生成も工学的な目途が立っていると思う。
心理描写だけはまだまだ難しい。これは小説家の腕の見せどころだ。
そもそも小説の面白さは普通でないことにある。普通の心理から(誤解などで)普通でない状況にあったり、普通の状況の中に普通でない心理が隠されていたりするところを、作家の表現によりうまく説明してしまう。こうして何らかの非日常が生まれる。身も蓋もない言い方をすればへ理屈だ。へ理屈を自然な理屈に感じさせる腕前を表現力という(?)。

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