2007年10月2日火曜日

児童文学がおもしろい

最近、児童文学に興味を持っている。
児童文学といっても高尚なものではない。
例えば、デルトラクエストなどである。
今、幼児への読み聞かせや、小学校での読書が話題になっている。
いずれも国語力こそ学力の基本であるという認識のためだろう。それは正しいと思う。
とにかく読書するという習慣をつけることが重要なので、内容は二の次だ。
しかし、おもしろくなければ読書は続かない。
デルトラクエストは文句なくおもしろい。大人が読んでもおもしろい。特にアニメ世代には抵抗なく受け入れられる。
今、デルトラクエストはアニメにもなっている。そちらのほうは、あまり興味ない。こういうものはたいてい原作の方が面白いと相場が決まっている。アニメでは想像力が養えない。
デルトラクエストはエミリー・ロッダの作である。彼女は他にローワン・シリーズも手がけている。こちらも大変面白い。デルトラクエストよりむしろローワンのほうを子供に読んで欲しい。
書店には、この手の手軽に読める児童文学がたくさんある。

給与の代わりに福利厚生を

日本経済はどうやら上向きつつあるらしい。しかし、地方や労働者はそれを実感できない。
いずれも事実かどうかは定かでないが、まことしやかに言われている。
確かに、会社は競争力を維持するために人件費を抑えたい。よって、給与をあげたくない。
しかし、そのままでは消費が低迷する。
そこで、給与以外の部分で利益を還元することを考えるべきだ。
例えば、会社がマンションを建てて従業員に賃料を割り引いて貸す。
このようなことはバブル時代あるいはそれ以前から行われてきたことだ。しかし、バブルがはじけて資産を整理した結果、多くの会社は社員寮を手放した。
かつての失敗を繰り返してはいけない。
そこで、今度は従業員以外にも貸す。ただし、正規の値段で。
つまり、副業として不動産業を行うということだ。
そして、重要な点は、その部門でも決して赤字にしないことだ。そのためには社員への割引分を転嫁できるだけの規模が必要になる。かなりの投資になるが、これは資産なので資金を眠らせるよりよい。いざとなれば売ってもよい。

電子マネーの自動販売機

電子マネーで購入できる自動販売機のことではない。
電子マネーのカードを購入する自動販売機の話だ。
現在、そのような自動販売機があるのかどうかは知らない。
知らないのをいいことに、ここで好き勝手に自動販売機をデザインしてみよう。
私が考える(欲しい)自動販売機は以下のような機能を持つ。
・電子マネーのカードが購入できる。
 デボジット制ならカード購入時にカード分の代金がチャージから引かれる。
・電子マネーのカードを回収できる。
 デボジット制なら回収時にカード代金を返金する。チャージ分も合わせて返金する。
・現金でチャージできる。
 当然だ。さらに小銭のチャージも許す。
・クレジットカードでチャージできる。
 これさえできれば現金を持ち歩く必要はほとんどない。PASMOや後払い式のカードでなくてもよい。

電子マネーの両替

電子マネーが普及しつつある。
いずれクレジットカードと電子マネーだけでとりあえず生活できるようになるだろう。
そうなれば空港で両替するとき電子マネーにチャージすることも考えられる。
そのためにはいくつかの課題を克服する必要がある。
まず、電子マネーを、残額を含めて換金できるようにすることだ。カードは空き瓶またはSuicaのようにデポジットでよいだろう。あるいはレートの優遇と相殺してもよい。
これからは空港に電子マネーのチャージ機を設置する必要がある。それもJRの改札ではなく銀行の傍にだ。
さらに電子マネー用の保険を考えるとよい。そうすればトラベラーズチェックは不要になるだろう。
また、電子マネーに保存できる額も見直す必要がある。これはチャージ機の設置台数に依存する。主要な駅に設置しておけば、小額でも問題ないだろう。特にコンビニでチャージできる効果は大きい。
空港を制覇した方が外国人ビジネスマンを取り込むことができる。

PCは増えてもスキルは落ちる

かつてPCの台数が少ないときはユーザのほとんどがプログラマーだった。
それもそのはず、プログラミングができなければ何にも使えなかったからだ。PCを使うこと=プログラミングであった。
しかし、WIMPとExcelでプログラミングが不要になった。この結果、PCは普及した。しかし、利用者のスキルは特に向上していない。
かつて、PCが高価であったときには、一生懸命使い方を覚え、自らのスキルを向上させた。つまり、機械が人間を育てた。
しかし、PCが安価になると、使わなくても惜しいと思わなくなる。わざわざ苦労してスキルアップしなくても、そこそこ使える。苦労するときも精神的な苦労(学習)より肉体的な苦労(ひたすらコピー)を選ぶ。
その結果、生産性はまったく上がらない。今でも少数のできる人に頼ることが多い。
付け加えると、スキルは低くても人数が増えたことで処理能力自体は増えている。それは重要なことだ。
しかし、今のPCはユーザを甘やかすだけで、鍛えることをしない。よい道具が人を作るという面は確かにあるのだ。問題は人を鍛える道具は人を選ぶということだ。一部の人をさらに向上させるか、全員で負担を分け合うか、いずれも道を選ぶかということだ。
安価な労働力に頼るなら、全員で負担を分け合うことになる。しかし、その結果、労働者の給与は他に安い労働力がある限りは決して上がらない。

PCが普及した理由

PCは普及した。
これはPCの価格が下がったためとよくいわれるが、個人的には違うと思う。
確かにPCは安くなった。かつては車に匹敵するといわれた時代もあったが、車の製造に革命が起きない限り、PCと車の値段が比較されることはないだろう。
しかし、私の記憶では、かつての高価なPCといえども40~60万円程度だった。今は安いとはいえ10~20万円程度だ。単純計算では1/6であるから、いかにも安いように思える。しかし、売れ筋からいえば主流は20万円以上のノートPCであり、せいぜい1/2にしかなっていない。
1/2程度の差は大きくない。むしろ、デスクトップがノートに変わり、DOSがWindowsに変わったことが大きい。
つまり、だれでも使えるように進化したために、普及したと考えるべきだ。

10月のブログ

9月はずいぶん記事を書いた。
これまでのところ前月の記事の数を常に更新してきたが、10月は9月ほどたくさんの記事は書けないだろう。
本当にコンスタントに書き続けることができるかどうかは、これからわかる。