2010年10月3日日曜日

最小不幸社会の合理性

菅直人首相が提唱する最小不幸社会論は何かと批判が多いものの全くの暴論という訳ではない。
最大多数の最大幸福という理念はよく知られているが、最小不幸はこれとは異なる。本来の中流の意味とは異なるが、日本の中流はあくまで上流と下流の中間的な立場である。最大多数は常に中流層であり、その幸福を目指すと、中流と上流の差が小さくなる。しかし、下流は取り残される。しかし、最小不幸論は不幸が最大化している下流に焦点を当てて、その解消をする。よって下流と中流の差が小さくなる。
これには様々な異論が考えられる。努力が報われる社会であるかどうかも一つの論点だ。下流の引き上げは安易なばらまきとなりやすい。その結果、下流が努力を怠り、中流の努力が報われない。
しかし、これはやり方の問題だ。上流の富が下流に分配されるだけなら問題ない。しかし、上流だけを資金源とすると救済できる人数も限られる。まさに最小限の最大不幸の最小化だ。この範囲の政策であれば有効であると言える。しかし、規模は小さいので、日本全体への発展には繋がらない。あくまでも傷口をふさぐ応急処置と言える。
そもそもこの程度のことは一般的な福祉政策の範疇である。それが合理的でないはずがない。
しかし、購買層としての中流が形成されなければ経済政策として成り立たない。福祉政策だけで下流から中流に引き上げることはできない。

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