2011年9月1日木曜日

正義のファジー

サンデルの正義論は、哲学への回帰現象を生んでいるようだ。様々な主義主張が考えられ、そかしそれでもなお説明がつかない、少なくとも一貫した説明が困難な正義の解釈を議論するには、既存のツールでは無理があるのではないかと思えるようになった。既存のツール、すなわち単純な論理だ。
例えば、功利主義的解釈では正しく思えるが、感情に流されると正しく思えなくなる。このような状況の依存性は、ファジー論理を導入することで解消できないだろうか。ファジー論理により、一般論としての論理が正しければよくなり、各論ではメンバーシップ関数の差を問題にすればよいからだ。
しかし、このような考え方はある種の逃げであることは確かだ。論理からメンバーシップ関数へ問題を移しただけだ。しかし、少なくとも問題点がより鮮明になるという利点はあるのではないだろうか。

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