2008年9月28日日曜日

Web 3.0

今の段階でWeb 3.0について語るのは荒唐無稽に思えるが、あえて語ることにした。
Web 2.0の提唱者Tim O'Reilly氏は、まだWeb 3.0を語るには時期尚早だという。おそらくそうだろう。ただし、氏がそういったのは2006年当時だったので、2008年現在では多少の方向性が表れているかもしれない。結論は出せないが、議論できる段階にはあるだろう。
ReadWriteWebでSean Ammirati氏は、「WebサイトがWebサービスに変わること」と表現している。ただ、これはWeb 2.0を超えるものではないだろう。ただし、現在のWebがサービスへ向かおうとしているのは間違いない。
神田敏晶氏は、「よりネットと現実社会が近くなる」という。これはWeb 2.0が人に近づいた(使いやすくなった)といて視点に基づいている。個人的には、氏の考えに賛同する。
Salesfoce.comのJim Steele氏は、「1.0が『見る』、2.0が『使う』、3.0が『作る』」と述べている(正確には訳者の意見かもしれない)。これはSean Ammirati氏の意見に似ている。
また、同Marc Benioff氏は、Web3.0はクラウドだという。これは同社の提唱するPaaSこそWeb 3.0だといいたいのだろう。同じ会社の2名で意見が違うように見えるかもしれないが、PaaSもWebサービスの延長にあり、矛盾しているわけではない。
最後に、私の意見を述べる。
私は、Web 2.0の本質を機械と人の協調にあると考えている。よって、Web 3.0は機械、人に加えてさらに「それ以外のもの」が統合されたときに発生すると考える。「それ以外のもの」とは、「それ以外のすべて」であり、すなわち我々の現実世界そのものだ。
Web 3.0=Webサービス論は近視眼的であり、まだ2.5ぐらいだと思う。しかし、方向性はずれていない。クラウドが普及するとデータはサーバに集まる。つまり、現実世界のデータもサーバに存在するようになる。実際、GoogleのSVを見ても感じられるように、現実世界のデータがサーバに取り込まれつつある。しかし、人間がデータ入力している段階では現実世界の取り込みは進まない。ある意味で、サーバ側からの能動的な取り込みが一線を越えたとき、3.0と呼ばれるようになると思う。
大事なことは、現実世界を取り込むということは自分自身を取り込んだということだ。鏡を見て自分の姿をチェックするように、システムが自分自身をモニターする能力を得るだろう。このような機能がなければシステムは進化できない。現在のシステム開発ではToBeもAsIsもいい加減で合理性がない。3.0でようやくシステムは進化できるのだと思う。

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