2009年12月16日水曜日

インターネットによる調査

ここでいう調査とは主としてサーベイのことだ。
論文やレポートを書く時には、文献を用いて調査する。逆の言い方をすれば調査には文献を参照あるいは引用する必要がある。参照は事実あるいは主張の証拠となる文献を示すことで、引用とはその一部を再掲載することだ。わかりやすさを基準に適切に選択すればよい。
誰でも最初は初心者だが、初心者がレポートを書く時、参考文献でよくある間違いはWikipediaを参照することだ。Wikipediaを正しく理解していないと、そのようなミスをおかす。
Wikipediaは集合知の産物だ。その作者は必ずしもその分野の権威者とは限らない。権威者ならミスをおかさない訳ではないが、間違いがあるかもしれないということを念頭においておく必要がある。正しい推論をするには正しい根拠が必要だ。
よってWikipediaは調査の始めであり、きっかけであって終わりではない。このことはいくつもの文献で指摘され、ある種の常識と化している。それ故にWikipediaしか調べず終わりにするような調査は不完全だ。
しかし、従来の権威ある文献も、それではどうすべきかということについては何も語っていない。それは片手落ちだと思う。一般論しか示せないにしても一定の方針を示すべきだ。
Wikipediaを参考文献に含めるべきかどうかは、個人的にはどちらでもよいと思っている。最初のうちは含めていてもよいだろう。しかし、それが無意味だとわかれば自ずと含めなくなる。
Wikipediaは出発点なので、特に書かなくても、それを用いていることは前提といえる。よって、あからさまに書く必要がない。むしろ、次に何を調べたのかが本当の調査だ。
この記事は、Wikipediaの次に何を調べるべきかを議論したい。
度々ある間違いとして、インターネットは間違いで本ならよいだろうということで、辞書を調べる人がいる。辞典ならともかく辞書は見当違いも甚だしい。どちらも意味を調べる本だが、その意味が全く違う。辞書は言葉の意味を調べるものだが、正確には言葉を言い換えるものだ。辞典は言葉の内容を説明するものだ。
それでは改めて何を調べればよいのか、考えてみよう。
Wikipediaをきっかけとするなら、それに紹介されている文献を調べることが考えられる。ただし、これらの文献はWikipediaの意見を肯定することしか書かれていないだろう。なぜなら、それを用いてWikipediaが編集されたと考えられるからだ。
次に、Wikipedia以外のWebページを調べるとしよう。この場合、Wikipediaほどチェックされていないので、よほどの権威者が書いたものでなければ意味がないかもしれない。だとすればWikipediaで権威者を調べる方がよいのかもしれない。しかし、Wikipediaの多くの項目では権威者であっても個人名を掲載することはおそらくないだろう。
仮に権威者がわかればAmazonで著作を調べることができる。本は図書館で借りることができる。近くになくても図書館同士で貸し借りができるので、取り寄せることができる。ただし、著作物を全部読んでからレポートを書こうとすると時間がいくらあっても足りない。
別のアプローチとして命題ごとの文献を引用して証明する方法が考えられる。権威者による証明より正確だ。なぜなら、権威者による裏付けは、その人を信じることに等しく、厳密には正さを保証する訳ではない。よって命題自体を検索する方がより科学的な方法と言える。具体的な方法も簡単だ。直接命題の文章を入力すればよい。後は検索エンジンが言葉の関連を含めて勝手に調べてくれる。ただし、この方法が成立するには2つの条件を満たす必要がある。1つは検索エンジンが十分賢いことだ。これは今でもある程度成立している。2番目の条件が問題だ。それはあなたが何を証明したいか理解しているかどうかだ。これは十分に論理的思考の訓練ができていないと難しい。また調査段階では議論の進む方向もわかりにくい。思考力があっても容易ではない。
このようにWikipediaは不完全だが、それ以外の手段がほとんどないことも確かだ。現実的な方法として国別、言語別のバージョンをチェックする方法も考えられる。これはチェックする目が増える利点はあるが、情報源が限られているので信頼性はそれ程改善されない。
結局、学校の課題程度の内容では一般論で十分であり、その範囲ではWikipediaで十分だ。それが論文のようなレベルになると権威者がはっきりするので、Wikipediaがでる幕はほとんどなくなる。Wikipediaの編集がいかに早くても、門外漢が特殊な専門分野を理解するのに要する時間の方が長くなる。このような性質の違いを意識せずに一方的にWikipediaを否定しても仕方ない。

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