2009年5月4日月曜日

ガリア戦記

ガリア戦記はカエサル自身の手による著作として知られる。古今東西の文学作品の中でもっとも有名なものの一つといってよい。しかし、これを読むのは並大抵のことではない(と思う)。
ガリア戦記を読んで、その文学性に衝撃を受けたという人は枚挙にいとまがない。しかし、私は大学生頃に一度これを読もうとして挫折した経験がある。もちろん日本語版でだ。にもかかわらず、読み切れなかったのは、全く面白さが伝わってこないからだ。文体は極めて単純であり、読みやすい。それは間違いないが、不可解な人名ばかり登場し、文脈が全く分からない。
しかし、近頃、塩野女史の著作でガリア戦記の背景を知ったうえで、読みなおしてみると面白いほどよく分かる。当時の人々は、このような予備知識があったからこそ、この作品を読み切ることができたのだと思う。つまり、歴史を知らなければ読めない作品だと思う。
また、日本語訳があまりに学術的で、小説家の文章ではなく、学者の文章であることにも抵抗を感じる。人に読んでもらおうという工夫より正確な情報を残そうという意図の方を重視している。また、日本語とラテン語の違いもあるのだろう。訳文からは、原文がなぜこれほどまでに称賛されるのかが、全くうかがい知ることができない。
そして、最後にカエサルの著述は口述筆記だとも言われる。おそらく報告書をもとに編集されたものであろう。そのためか、過剰な装飾によって表現するのではなく、事実をもって納得させる書き方になっている。これは論文の書き方に近い。そのためか、論文の書き方を全く理解していなかった昔は読めなかったが、自分でも書くようになった今は読めるようになったのかもしれない。しかし、論文に似ているといったが、論文そのものではない。自分を弁護する記述がいたるところにあり、文章も必要以上に冗長だ。このあたりは明確な目的のために書かれた文章だと思える。

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