2010年12月15日水曜日

読書

一冊の本、たとえば200ページがあるとする。この本をどれだけの時間で読むことができるだろうか?1日、1週間、1年?
たいていの人は1週間ぐらいだろう。しかし、早い人は1日で読める。読む気のない人は1年かかるかもしれない。
読書は知識の源泉だ。知能のバロメータだ。1日と1年では100倍以上の開きがある。およそ人間の活動で、これほど大きな差があるものはない。100メートルを10秒で走る人はほとんどいないが100秒でならだれでも走れる。健常者ならば。したがって、1年で一冊しか本を読まない人は一種の障害者であるといえる。
あえて厳しい言い方をしたが、逆説的に受け取ってほしい。つまり、障害者でないなら、1年に一冊しか本を読まないなどということではいけない。
読書の苦手な人は、本を表層的にしか読まないようだ。幼い子供が本を読むとき字を追うだけで精一杯な様子を見かける。そのような子も声を出すと頭に入りやすい。眼だけの読書ではなく頭全体あるいは体全体を使うからだろう。それだけ頭に吸収されやすいということだ。しかし、このような幼児レベルの読書をしている人が少なからずいる。
読書のコツは人によって異なるかもしれないので、必ずしも一般論とはならないかもしれないが、自分の読書術を紹介しよう。私の場合、読書をしていると頭の中にイメージが膨らむ。あたかも目から文字が入り、頭の中に小説の世界が生まれるようだ。その世界は、字を追うごとに進行し、時に勝手に動き出す。その動きをさらに字を追うことであらすじからはみでることを補正する。あたかもカーナビがGPSを地図で補正するようだ。
このような頭の中にモデル世界が構成されると、自然とストーリーがわかる。世界が分かればその抹消の出来事もわかる。想像しながらの読書は楽しい。同じ読書でも字を追うだけでは機械的な作業に過ぎないので楽しめない。両者の違いは大きい。この差が読書のスピードに反映される。
小説だけでなく論文も同じだ。むしろ論文の方が理路整然としていて話の流れが把握しやすい。ただし、論文の書き手はプロの作家ではないので、筋道の立て方が下手な場合もある。そのような場合はやはりわかりにくい。

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