2009年11月27日金曜日

授業におけるストーリー

ある本によると、人が面白いと思うストーリーには一定のパターンがあるそうだ。
何かが欠けている状態があり、それが問題を引き起こし、それを解決する行動の結果、欠けていたものが満たされる。これはかなり普遍的なおもしろいストーリーの構造となる。
このような話の流れは聞くものに興味を引き起こす。
今、面白くない授業を聞いて眠くなっている学生を引き込むには、このようなストーリーのパターンを使うことも有効だろう。
具体的には、問題を提示し、それを次々解決される様を追体験する。よく先生と生徒を登場させ、二人の会話を通じて読者も学ぶという方式の本がある。これもストーリーの応用といえるだろう。
しかし、この方法にも問題点はあるように想える。それは構成の難しさだ。プロレベルの構成作家でもない教師がうまくできるかわからない。どちらかと言えばうまくいかないような気がする。
根拠は歴史の授業だ。そもそも問題解決のパターンは技術や文化の発展の歴史といってもよい。我々人類が歴史を通じて多くのことを学んだ。今日のあり方を説明するには、過去の経緯を話すことだ。それはストーリーそのものでもある。しかし、歴史がそれほど楽しい授業だったろうか。自分の経験と照らし合わせてみるとよい。先生次第という方法論では不完全だ。先生次第の部分があってもよいが、大半が方法論の結果でなければ方法論としての有効性は証明できない。プロジェクトXは面白いが、歴史は面白くないとすれば、両者の違いをよく考える必要がある。
失敗する原因の一つは歴史に忠実でありすぎることだろう。授業のためのストーリーはそのままの歴史ではいけない。細部にこだわらずに本質だけに留めた架空の話の方がよいこともある。

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