2009年3月4日水曜日

研究のシステム化

publish or punish
確かに研究成果を死蔵しても意味がない。研究成果は広く万人の知るところとならなければ、人類全体の知財とならない。
もっと目先のこととして研究成果は特許を経て経済に直結する。となれば、競争力を維持するために秘密にすることもある。
しかし、これはむしろ例外だろう。一般的には知識を得るだけでなく、それを発信することも必要だ。
しかし、研究者は必ずしも最善の伝道者ではない。伝道者には表現力が最も重要な資質だろう。研究能力と表現力を兼ねることは重要と考えられているが、いざ実践しようとすれば難しい。
そのような無理な要求を課すより現実的な解決手段を模索すべきだろう。それが研究の分業であり、システム化だ。
研究もマネジメントできる。それはよく知られていることだ。しかし、マネジメントが中途半端であることも確かだ。
研究の方向性を大局的に判断する人はいるが、トップダウンで指示することもほとんどない。どちらかといえばボトムアップであがってきたテーマに難癖付けるだけだ。それなら最初から指示してやればよい。もちろん、できるならだが。
発表してない研究はないも同然だ。研究が終われば発表の準備に入る。しかし、発表の準備は意外と手間がかかる。研究と発表を分担できるだけで能率は上がる。研究者は発表者にだけきちんと伝えればよい。発表者はインタビュアを兼ねて、一般聴衆の立場から質問を想定する。このような役職にふさわしいのは編集者だ。編集者はゼネラリストでなければならない。ただし、スペシャリストに準じるほどその分野に精通していなければならない。このような人材は少なくないが、あまり活用されていない。
研究を突き詰めるほど分野は狭くなる。こうなると分野外のことがわからないいわゆる専門馬鹿になりかねない。それもまた分業が必要な理由だ。最先端は狭くなって当然だ。専門馬鹿でしか到達できない境地がある。しかし、専門馬鹿だけでは到達できない領域も存在する。スペシャリストとゼネラリストは互いに協力しなければならない。
ゼネラリストはスペシャリストを結びつける。ゼネラリストにしか解けない問題もある。ゼネラリストがスペシャリストを道具のように使う以上、十分なスペシャリストが存在する環境下でなければ能力を発揮できない。
次の課題はスペシャリストの育成だ。多くの技術者は学生時代ゼネラリストで、企業で研修することでスペシャリストになり、やがて管理職で再びゼネラリストになる。入口と出口がゼネラリストだから内部でスペシャリストを育成するしかない。OJTよりプロジェクトがよいだろう。

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