2007年11月14日水曜日

数の論理

数の論理とは、多数=勝者の正義というに等しい。
数が多ければ、過半数を占める。半数以下を押さえることで政治を支配できる。半数の中で最大派閥を構成すれば、半数未満でも政治を支配できる。これが数の論理だ。
これを積極的に実践したのが田中派である。しかし、もはや田中派はないに等しい弱小派閥に転落している。
ここに数の論理の問題点がある。
つまり、数の論理とは、力の論理そのものであり、少数の者=弱者を力でねじふせる方法だ。この方法では遺恨を残す。
強いアメリカが世界から必ずしも尊敬されない理由も同様だ。むしろアメリカは軍事力以外の部分で尊敬されている。イラクを例に取るまでもなく、軍事力の行使は遺恨を残す。これが戦争の教訓だ。
つまり、数の論理とは戦争の論理であり、これを乗り越えることこそ真の成長だ。
では、本来あるべき論理は何の論理なのか?
それはやはり数の論理だ。しかし、ここでいう数とは多数派のことではなくデータのことだ。
データに基づく論理は相手を納得させることができる。一般的に具体的なデータを示すことは難しい。しかし、それをすべき段階にきている。
また、未熟な聞き手は論理的な話についてこられない。おそらく論理とは人間の本質的な思考法ではない。だから、特別に教育を受けない限り論理が理解できるようにはならない。
そこで、話すほうはわかりやすい説明を心がけ、聞くほうは真摯に聞くことを心がける。そのような討論のマナーを守ることから始めなければならない。
しかし、マスコミの討論?番組は、相手の話の腰を折ることばかりで、おもしろおかしく見せることしか考えていない。そのような番組を見て育った人が、きちんとした討論をできるわけがない。むしろ、討論とは大きな声で相手の邪魔をすることだと理解するだろう。これもある意味では大声=力の行使である。

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