2007年11月3日土曜日

正しいユビキタス

ユビキタスとは、どこでも計算機を使えるという意味だ。
モバイルと混同されることが多いが、元々はまったく逆の意味だ。
過去、N人が1台のコンピュータを使った。
現在、1人が1台のコンピュータを使っている。
将来、1人がN台のコンピュータを使うだろう。
そのような未来では人はコンピュータに囲まれて生活するため、人の行くところには必ずコンピュータがある。
だから、複数のコンピュータの使い方を考えなければんらない。それが本来のユビキタスだ。
つまり、モバイルでなくても既に存在するということだ。
しかし、多くのコンピュータはデスクトップPCより小さいので持ち運びもできる。そのためモバイルとの混乱が生じた。
実際、専門家でさえ明確に区別しない。あるいは区別する必要性を感じていない。
しかし、モバイルでないコンピュータのユビキタスは、今後非常に重要だ。
モバイルが成熟し、一人立ちした今こそ、ユビキタスを本来の意味に戻し、ユビキタス-モバイルとして改めて考え始めるべきだ。
動かないユビキタスでは、ネットワークが不可欠だ。mた、ハードが動かないからこそ、ソフトが動かなければならない。ときに人自体をメディアにする必要もある。
ある意味では、センサーネットこそユビキタスの正当な継承者なのかもしれない。
しかし、センサーネットは人との関係が希薄である傾向がある。人知れず支援するが、積極的に関わろうとしない。その点では十分とはいえない。
今はユビキタスが提唱されたときより、そしてそのとき予想したより多くのコンピュータが存在する。もっと目に見えるユビキタスがあってもよい。

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