2007年7月6日金曜日

後手に回るLinux

最近、Linuxに魅力がない。
一時期、ポストWindowsの有力候補であったが、その後Windowsにせまるというよりむしろ突き放されている感がある。
サーバはともかく、デスクトップが見劣りする。
Linuxのよさはディストリビューションのトータルなパッケージ管理にある。
ボランティアがパッケージをテストし、安全かつ便利な組み合わせを提供してくれる。
ユーザはパッケージを選択するだけでインストールすることができる。
これはWindowsにない特徴である。
しかし、定番ソフトがいやおうなく定着する土壌にもなっている。
要はソフトが少ないからこそ可能なことだ。
パッケージソフトをインストールするWindowsはそもそも発想が異なる。
それでも、Windowsのデスクトップにはかなわない。
慣れの問題もあるが、細部に不統一感がぬぐえない。
Linuxでは自由競争で勝利した仕様が普及していく。
それは民主的で公平ではあるが、かならずしも一貫した将来ビジョンがあるとはいえない。
そもそも技術の世界では、民主性など重要でない、むしろ一人の天才のひらめきが重要である。
確かにキーボードのQWERTY配列のように慣れ(ユーザーの支持)が重要なものもある。
しかし、ソフトウェアは目に見えないアーキテクチャから進歩し、それに取り残されたインターフェースは陳腐化する。
しかし、慣れが優先されるインターフェースはまだよい。XPからVistaに乗り換えるのをためらうユーザがいるように慣れには大きな慣性がある。
問題はアプリケーションの進歩が停滞することだ。
アプリケーションは一気に変化する。
オフィスでさえ真の勝者はまだ決まっていない。
問題は、オープンソースは確かに画期があるが、その進歩はそれほど早くないということだ。
企業が明確なビジョンを持ち、多くの資本をつぎ込んで開発するソフトにはかなわない。
オープンソースソフトはよくも悪くも民主的だ。
民主主義の悪い面、意思決定の遅さも受け継いでいる。
開発体制も決して十分ではない。
そのため、Linuxは常にWindowsの後塵を拝している。
LinuxがWindowsに近づくころにはWindowsの次期バージョンが華々しくデビューする。
一気にシェアを拡大する機会だったOLPC(One Laptop per Child)のOS候補をもWindowsに奪われた。
無料のソフトがコスト重視で負けたというのは深刻だ。Linuxには無料でも使いたくない何かがあったということだ。

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