2007年10月28日日曜日

国家プロジェクトのあるべき姿

国家プロジェクトは形はどうあれ成果を国民に還元できなければならない。
かつてシグマとICOTというプロジェクトがあった。
シグマは和製ワークステーションを作るだけのものだったが、それは完成し、UNIXを普及させ、企業に技術力を与えた。そのため、成功と判断された。しかし、いまや日本のワークステーションは風前の灯火だ。
一方、ICOTは人工知能を目指したが、完成はしなかった。正確には人工知能技術を高めることが目的だったろう。しかし、完成品がないことや民間への波及効果が少ないことから失敗といわれた。
しかし、論文の数は圧倒的にICOTの方が多い。
論文は直接国民に利益をもたらすものではないが、普遍的なものなので日本を技術立国にするには必要な物だ。
いまの国家プロジェクトは民間ではできない巨額の投資で共用設備を作るものが多い。
データや論文は得られるが、同じものを企業が作ることはできない。そもそも小型化できないものや需要が少ないものが多い。
これをみると時代と共にプロジェクトの意義が変化したといわざるをえない。
かつて日本がアメリカを追いかけていたころは早く真似することが重要だったが、いまは真似する必要がなく逆に独自の技術が必要となってきた。
このような場合、独自の技術が広く普及することは考えにくいので、今後のプロジェクトの成果はますます抽象的なものになるだろう。
科学は進歩しても経済効果は疑問だ。
では、経済効果のあるプロジェクトはどのようなものか。
それはローテクでも構造変化をもたらすものだと思う。
例えば、国は道路を作るが、ネットワークを作らない。道路のように国がネットワークを作り、企業から使用料をとればよい。ユニバーサルサービスを提供すべきは企業ではなく国である。元国営企業はすべていびつさを持っている。これを解消しないと次世代の発展ができない。
また、グリーンデータセンターを作り、一億人のデータバンクを作ることもできる。
また、途上国の子供に1台ずつラップトップを送るプロジェクトがあるが、先進国の子供にも欲しい。
また、自治体ごとに情報システムを導入するのは無駄だ。国がASP/SaaSで業務アプリを提供すればよい。
このようなプロジェクトは技術的には枯れているが、国以外にはできず、しかも経済並びに社会的効果が高い。

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