2008年3月3日月曜日

ゲームの終わり

人工知能(AI)の研究でゲームが解かれていく。
オセロは普通の人間では勝てない。チェスも専用機ならチャンピオンに勝てる。私は市販の将棋ソフトに到底かなわない。囲碁でも負けてしまう。
AIのためにゲームを研究するという名目だが、はたして本当にAIの役に立つのか疑問だ。ゲームは特異なルールであり、非現実的な世界だ。ゲームに強くなっても賢くなったと言えるのかどうかわからない。
むしろ弊害の方が大きいかもしれない。
AIがゲームを制覇したとき、人間はゲームをする気になるだろうか?負けるとわかっている勝負を挑む気になるだろうか?何度戦っても負け続け、それでも戦い続けることができるだろうか?それができるのはごく限られた人だけだろう。プロなら戦い続けるかもしれない。しかし、一般の人は戦う気も起きなくなるだろう。そしてゲームをしなくなるのではないだろうか?
そうしたらプロも育たなくなる。やがてゲームを深く理解する人が消え、ゲームの文化が衰退し、ゲームのプログラムも忘れ去られたころになり、昔のゲームを復活させるブームが来るかもしれない。それも、チャンピオンプログラムの再発見で終焉するだろう。
悲観的かもしれないが、人間に勝つゲームAIを作ることで、人間が得るものはほとんどないように思える。知的な好奇心を満たす意味でゲームAIを作ることは、一定の目標となるだろうが、強くなりすぎると人間の楽しみを奪う可能性がある。
もう少し考察を続ける。
AIが十分強くなった時、生き残るゲームは何だろう。それは3種類ある。
1つは乱数の要素をもつものだろう。人間は思考力でAIに勝てなくなるので、思考ゲームは衰退する。チェス、将棋、囲碁はなくなるかもしれない。残るのは麻雀、パチンコ、ギャンブルかもしれない。これらは理屈抜きに楽しむものだろう。
2つ目はコミュニケーションを楽しむものだ。モノポリー、ブリッジなどが該当する。また、囲碁や将棋を対人に限って楽しむことでコミュニケーションになる。この場合、相対的な強さを図るだけで絶対的な強さはAIにかなわないことを承知しているので、プロは育たないだろう。
3つ目はゲームバランスを変更した思考ゲームだ。囲碁はハンデを変えると戦略も変わる。同様にチェスや将棋のハンデやルールを変えてしまえば、AIを無効にできる。例えば、盤面を大きくするだけでAIは思考できなくなる。その時代のAIの能力を上回る盤面を用意すればよい。ただし、人間も新たな戦略を編み出す必要がある。人間の戦略の進歩よりAIの進歩が早ければ無意味だ。

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